一枚の写真に出会ってしまった。
タイトルは『犬を背負う子供たち』。
1946年に取られたモノクロ写真である。
焼けた町に坊主頭の少年が二人。
向かって右側の少年はしゃがんでこちらを振り向き、左の少年はしゃがむ少年に視線を向け、一匹の犬をおぶって立っている。
その少年は犬と自分の体とを縄でくくり、両手を背中へまわして犬を支えている。
そして負われる犬の方も妙に大人しく、自分を負う少年の肩に両前足をタランと預け、しゃがむ少年に視線を落としている。
黒くつぶらな瞳が何とも愛らしい。
恐らく野良犬なのだろう。
少年らは自分たちもお腹を空かせているというのに、この犬に餌を分け与えているのだ。
瞳の奥から熱いものが込み上げてくる。
この一枚を撮った林忠彦は「こんなに優しい少年たちがいるのならば、戦後の日本の未来は明るいに違いない」
と元気づけられたのだった。
この一枚には不思議な輝きがある。
犬を背負う少年たちがやがて “復興” の担い手となる。
こんなに大変な役目を背負う羽目になった少年たちの表情は、なぜだかハツラツとしている。
本当に“生きて”いるのだ。
ただ自分の命を明日へ食い繋ぐだけのことを、「生きる」とは言わない。
1946年の三宅坂で、二人と一匹は確かに“生きて”いた。
そして64年余が過ぎ、人類は相変わらず愚かな過ちを犯しながらヨチヨチ歩きから進歩できないでいる。
生きるとは何ぞや。
そして幸福になるとはどういう事なのか。
自分自身に問う時間も余裕もない文明人たちよ、我々は何か大切なものを過去に忘れてきてしまったのではないのだろうか。
“生きた”二人と一匹は一体、どこへ行ってしまったのだろう。
一枚の写真の前で私は唇を噛み、必死に涙を堪えた。
感動に打ち震えながらも目を反らしたくなる。
そんな自分を恥じた。
自分たちが忘れてきたものが一体何なのか、もう思い出せないのだ。
2009年冬、戦後65周年を目前にしたある冬の日、二度と取りには戻れない忘れ物を思い出し、私はただ途方に暮れるしかなかった。
(『林忠彦写真展』
新宿歴史博物館にて開催中)
終わり。