小学校か中学校の国語の教科書に必ず出てくる、太宰治の「走れメロス」。
27歳にして高校卒業資格を取るために勉強したお陰で、もう二度と読むことはなかったかもしれない名作に幾つも再会しました。
この「走れメロス」もその一つ。
過去に「斜陽」、「人間失格」を読みましたが、太宰治は好きな作家の一人です。
人間の醜さや、正義を振りかざす世の中に対する異議を書いた人。
そんな太宰治にしては珍しく明るい結末なのが「走れメロス」ですが、このお話の内容を覚えていますか?
邪知暴虐な王を暗殺しようとして捕らわれたメロスは、王に親友のセリヌンティウスを人質にさせて、処刑まで3日間の自由を許されます。
メロスは大急ぎで妹の結婚式を済ませ、友の待つ城へ再び向いますが、道中幾度か行く手を阻む困難に遭遇します。
度重なる困難に打ち勝ったメロスを最後に待っていたのは、最も大きな敵でした。
それは"己の弱さ"です。
約束の期限を目前にして、メロスは倒れこみます。
友よ。
私は走ったのだ。
君を欺くつもりは微塵もなかった。
信じてくれ。
私は急ぎに急いでここまで来た。
私だからできたのだよ。
この上私に望み給うな。
放っておいてくれ。
どうでも、いいのだ。
私は負けたのだ。
自分自身の弱さに負けそうになったメロスでしたが、もう一度立ち上がります。
もうとても間に合わないが、自分を信じてくれている者のため。
間に合う間に合わぬの問題ではない。
人の命の問題でもない。
なにかもっと大きいもののためにメロスは再び走るのでした。
遂に間一髪のところでメロスは城へ辿り着き、途中、一度だけセリヌンティウスを裏切ったことを正直に言い、自分の頬をセリヌンティウスに思い切り殴らせました。
するとセリヌンティウスも3日間のうちに一度だけメロスを疑ったことを告白し、同じようにメロスに自分の頬を殴らせるのです。
それを見ていた王はすっかり感動し、人を信じる心を取り戻すのでした。
この物語を読み、感想を書かなければなりません。
メロスが’最も大きな敵’に打ち勝てたのはなぜだろう?
太宰治が数多の作品の中で言いたかったことはなんだろう?
正義とは一体何だろう。
正義の定義は個人によって違うのではないか・・・。
世の中の人に、あなたは正義とは何だと思うかと問うた時、自分の答えを持っている人がどれだけいるのだろうか。
みんな、自分にとってそれがどんなものなのかをよくわかりもしないで、正義という曖昧なものを掲げているのかもしれません。
そう、己の中に定義がない限り、正義とはとても曖昧なものです。
そんな偽りの正義を掲げる世に太宰治は疑問を投げかたかったのではないか、と思うのです。
では、太宰にとっての正義とは何だったのでしょうか。
"人の生き死にの問題ではない"
というのなら、命よりも大切なものがこの世にあるというのか。
大人になってから改めてこのお話を読まなければ、こうして自分に問うこともなかったでしょう。
とても考えさせられました。