今日は


「時間はどこで生まれるのか」

著:橋元淳一郎


を読んだ。


感想は、めっちゃ面白かった!

専門用語いっぱい出てくるけれど、「時間論」をわかりやすく解説してくれている。

簡単に書くと、相対論と量子論の世界では、ミクロレベル(原子1つとか)だと時間の概念を持ち込むことができない。

私たちが考えている(というか当たり前だと思っている)時間は、マクロの世界でだけ成り立つ。

時間が過去から未来に向かうベクトルであるっていうことも、何の根拠もない。

それを成り立たせているのは、過去のことを記憶して、今、過去の記憶を未来へどう活かすかという事実だけらしい。

この「意志」が、マクロの世界では時間を過去→現在→未来を成り立たせる。

この「意志」がなければ、時間は未来→現在→過去とういベクトルを持ってもいいらしい。


・われわれは、自分自身が時間の流れの中にいると感じている。そして、自分が感じているのと同じ時間を、他者もまた感じていると思っている。しかし、それは錯覚なのである。自分が感じている時間は、自分だけのものであり、他者が感じている時間は(自分の時間とある関係で結ばれているけれど)、他者のものなのである。


二次元の平面に空間軸と時間軸を取って、原点に現在を設定する。

光の速さ毎秒約30万キロの関係を原点を通るように描くと、過去、現在、未来の3つでは表せない非因果的領域っていうものが出てくる。

この発見に感動した・・・。ほぉぉぉ~って感じになった。


光の速さは、毎秒約30万キロで変わらないんだけれど、私たち生物は動いているわけで、物理学的には相対速度を考えなければならなくなる。

これは、さきほどの空間軸と時間軸をある角度傾ける作業が必要で、これをすると、人は同じ時間を過ごしていないことがわかる。

例えば、自分は今という時間に立っているとすると、隣にいる人は、自分にとっては過去の時間を過ごしている可能性があるってこと。

可能性というか過ごしている。(過去じゃなくて未来でもいい)

この発見はもっと感動した・・・。ほぇぇぇ~って感じになった。


だから絶対時間なんてものは、物理学的には証明できない。否定するしかない。



長々とすみません。

つい面白かったので書きすぎました。



今日は研究室のゼミの発表だった。

伝えるって難しい。

日本語って難しい。

くそみたいな発表すみませんでした。

先生ありがとうございました。


日本語も伝わらないって自分は一体何人なんだぁぁぁぁorz



今から気分転換にドライブでも行ってこようかな~

今日は


「鈍感力」

著:渡辺淳一


を読んだ。


感想はというと、うーんって感じ。

鈍感な人をめちゃくちゃ持ち上げているって感じの本。

鈍感の反対である敏感があたかも生きる上でダメかのように振る舞っている。

この本を読んでいると鈍感な人もいいなぁと思うけれど、それは鈍感とは違うんじゃないのって思うことが多々あった。

無理やり鈍感にこじつけている感じの部分が多々あった、と自分は思う。

まぁ自分なりにまとめると、敏感には敏感の良さ悪さがあるし、鈍感にも良さ悪さもあるから、どっこいどっこいじゃん?って感じかな。

鈍感の欠点とかも書いてあれば、もう少し心広く読めたと思う。



何故ブログに本の感想を書いているかについて書きます。(誰にも聞かれたわけでもないけど勝手に書きます。笑)

読書メーターっていうのをつけていて、そっちに感想を書きたいのですが、読書メーターに書くとその本を読んだ人の感想がいっぱい出てきて、自分のも見られる仕組みだから他の人の感想と比べられたくないんですよね。っていう理由。

自分は何事も比べられるのが大嫌いなので・・・。

比べられるのが嫌いな、ぬるくて弱い人間です。

これからもいろいろ感想書きたいんだけど、そのときの感情で書くのでいつも言っていることが矛盾している可能性があると思われ。

ご了承を。



最近は自分がやりたいことをやれるペースでできている。

ほとんどは卒論だけど、本読んだり、ご飯食べに行ったり、たまーに遊んだり。


坦々麺うまし。



マスターボールがほしい



おやすみ~

今日は


「いい人」をやめると楽になる

著:曽野綾子


を読んだ。


詳しいところまではわからないが、おそらく著書が今まで執筆したエッセイとか小説からその項目に合う文章を抜き出しているんだと思う。

そんな感じが永遠続く本。

著書がキリスト教なので、聖書からの抜粋なんかもある。


自分にとっては少し難しかったけれど、なかなか面白かった。

こんな考え、感性、人付き合いの仕方もあるんだ、感心・関心しながら読んだ。

人は誰しもが、他人に良く見られたいとか、他人より上にいたいっていうときがある。

でもそんなことは全然カッコよくないし、疲れるだけっていうのを中心に話が進められているかな。

筆者が結構物事を割り切れるタイプなのか、普通の人にはないような性格というか感性で面白い。



・もし本当に避けたいと思う相手がいたら、私たちはその人の悪口を言わずに、相手が気がつきもしないようにそれとなくそっと遠ざかり、その人の幸福を祈り、その後いつでも、何か本当にその人の困ることが起きたら、手をお貸しするという心を持ち続けること。



・誰でも自分の評判というものは気になるものだ。しかし評判ほど、根拠のないものはない。私以外に私の細かい事情を知っている人はいないのに、その知らない他人が私のことを言っているのだから、評判が正しいはずはないのである。それでいてその評判に動かされる人が多い。世間というものが眼に見えない力で圧力をかけるのである。



・「善評」に比べて「悪評」は安定のいいものだ。「善評」はそれを保ち続けるのに、すざまじい努力がいる。そのような努力を少しでも減らすと、途端に人は悪口を言い始める。しかし「悪評」は保ちがよく、安定している。世間は、悪評のある人物には最初から期待しないから、その人は無理をしなくて済む。そして少しいいことをすると、運がよければ意外に思ってもらえたりもする。



いい子ぶってきたつもりはなかったけど、この本読むといい意味であんまり頑張らなくていいや~気楽にいこ~っていう感じになる。笑

ぜひ読んでみて下さい。

くだらないって感じるか、少し楽になったと感じるかは人それぞれだと思うけど何かは感じると思う。



今日は岩沼の竹駒神社に初詣行ってきた~


マスターボールがほしい


おやすみ~