大切な人は居なくなる
この1年間で私の大切な人は3人も居なくなってしまった…私が関わる事によっていなくなってしまうかのように次から次へと居なくなる。信じる事で自分自身が一番しんどくなると感じ人を信じる事も、人に対して関心を持つ事も避けてきた20年間…そんな私の概念を変えてくれた今回の出来事。。。『信じることからはじめよう』そもそも他人を『信じる』って何をもって信じるのですか?どこからどこまでを信じればいいのですか?っという話になる。信じる事によるデメリットはあからさまに分かる。だから避けてきた。それによって自分が傷つくのが嫌だから保身にはしるんです。だけどこれって人間らしくいれないんですよね気付いてはいましたが、それでも自分が傷付いた時に立ち直る勇気も力も無い事もそんなに強く無い事も分かってるんです。人ってそんなに強く無いんです。一人なんかぢゃ生きていけないんです。私には人の心はあるのか?実はこの信じない『心』は全てにおいて…ではないんです。特に近くにいる人間に対しては・・・と言う事に限定しております。なぜなら本日表題にあげているように『大切な人は居なくなる』こうなった時寂しすぎてどうにもできなくて心が痛い・・・こんな気持ちになるのも、思うのも嫌だから。依存性が高いんでしょうね。人間らしくはないとしても自らはすごく楽なんです。だけど・・・今回の事をきっかけにもう一度信じてみようと私の中で大きな決断をしました。なぜならそんな事を考えているとある日自分は人間らしくないと感じたんです。感情が表にすっと出てこない。楽しい。うれしい。悲しい。寂しい。好き。嫌い。嫌。もっとある感情が表に出ないんです。これって人としてどうなんだろ…あるがままを表現で知る人間になりたいどんだけ傷付いても悲しくても泣きたい時は泣けばいいそれが生きているってことになるんじゃないかっと出した答えがこうだったんです。心から信じて頼りにして…心情的にも支えてくれて…だけどやっぱり私の前から居なくなった…禍福は糾える縄の如し気持ちを強く持っていたい