震災のあの日から6年ですね。


もう6年   なのか

まだ6年   なのか




被災した方々にとって
少しでも前を向けるようになった
少しでも笑顔になれる時間が増えた

そんなふうに変化できた6年であることを
切に 心から願います






6年前のあの日は
私はまだ看護学生。
学内実習の日で学校にいました。

教室で同じ実習グループの友達と記録をしているとき揺れが起こりました。
最初は地響き。
まさか数秒後にあんなに大きくなるとは思わず
でもいつもより大きめな地震。
みんな「隠れろ!」なんて少し冗談半分で
机の下に隠れて…

その直後
机ごと動いてしまうほどの大きな揺れに。
さすがにみんな事態の大きさを感じ
これは外に出たほうがいい
慌てて校舎の3階から出口へ走りました。

揺れで階段はグニャグニャになっているような感じで手すりも掴めない状態。
泥酔でもして真っ直ぐ歩けなくなったような感覚でした。

出口へ行くと教員が下駄箱が倒れないように体で押さえていて早く外に出るよう言われました。

私の看護学校はかなりの築年数でボロッボロなので揺れがおさまるまで建物内にいることは危険でした。

みんな学校近くの広い駐車場に避難
ショックで過呼吸になる子もいました。

私のいた地域の揺れは
震度5強

東北に比べれば当然揺れは小さい
それでもあの揺れは
とてつもないショックと恐怖でした。


電車は止まり
車で通学していた友達にみんなまとめて自宅まで送ってもらい帰宅しました。
車中、カーナビのテレビで流れる映像を見て
あまりの衝撃と恐怖とこれが現実なのか
本当に本当にショックで
涙をこらえるのに精一杯だったのを覚えています。

帰宅すると母の部屋のタンスが倒れていただけで、ほかは大きな被害はありませんでした。





それから
予定されていた実習は夏休みへと延期され
学校も数日休みになりました。

私の地域は
計画停電の対象。
1日のうち数時間の停電。
それでも大変な不便を感じました。
実家は団地なので水道も止まります。
灯油ストーブ、ろうそく、湯たんぽで暖をとり、携帯のテレビで情報をとり
そんな時間を過ごす日々でした。






今でも
震災の津波の映像
瓦礫の山になった街並み
テレビで見ると泣けてきます。
軽いトラウマ。



でも
被災地の方や実際にあのときあの場所にいた方に比べたら
本当に大したことのない体験。



それでも
あの日に感じた思いや経験したことは
忘れてはいけないことだと思っています。

あのときも
当たり前のことが当たり前ではないことを学んだはず。








うまくまとまらないですが
3月11日は
やっぱりいろいろ考える日です。

6年前
まだ看護師資格がなくて誰も助けられないことをとてももどかしく感じたことを思い出します。
バイタル測ったり話し相手くらい看護学生でもできるのに
なんて思ったりして。






同じような震災が起きたら
私はさえのことを守れるのか
体温調節は
ミルクは
オムツは

そんな思いのママたちが
6年前もたくさんいたんだよな
そう思います。







どんなことでも当事者にならないとわからないことがたくさん。



本当にいろいろ考える日です。






1日でも早く
少しずつでも
みなさんに笑顔や希望が増えていきますように。


私もそうなれますように。