確か4年前の今ごろでしたか、薬被連(全国薬害被害者団体連絡協議会)の薬害根絶デー実行委員会に出させてもらいました。
実行委員会には数々の薬害訴訟を勝ち取ってきた弁護士やボランティアの法学部大学生、
社会派で勇名を馳す、東京新聞の望月記者の姿もありました。
大勢の当事者の薬被連への働きかけが実り、向精神薬の問題についてもリレートークにも加えてもらうことになり、問題のブリーフィングが行われました。
私にリレートークを、と水も向けられたのですが
…スモンにサリドマイドに薬害エイズですからね…
ビビりました。
不適切不謹慎は承知ですが、格負けを感じてしまいました。
どう見ても一見ピンピンしてる私が「まだ離脱症状が苦しいです」とか「3-4時間しか眠れません」なんて後遺症を訴えたって迫力ないことこの上ないです。
「あなたそんなのをここで薬害とおっしゃるの?」そう言われてる様に感じてしまい、遠慮させてもらいました。
考えさせられました。
薬害って何だろう?
確かにベンゾの断薬前後の離脱症状は厳しかったし、何年も引き摺りましたけど、終わってみれば一過性だった訳で、一生手足が無いとかいう「薬害」とは全く別次元でした。
もちろん人により害の程度は違います。
私は幸い7年の服薬で済み、大した後遺症も残さなかったみたいですが、服薬期間が長くなればなるほどダメージも後遺症ももっと強いでしょう。
一生残る障害を負ってしまう人もメジャーなどでは命を落とされる方もいるでしょう。
地獄に落ちるまで飲み続ける人もいれば、
一方では止めて回復する人もいます。
これまでの薬害では、毒だと解ってて飲み続ける人も、止めて回復する人も、存在しないし、想定されてないんです。
逆に言えば、薬害を訴える立場からは、回復者はいてもらっちゃ困る、邪魔な存在なのかも知れません。
違和感というか、その場の居心地の悪さを感じながら、そんなことまで考えてました。
苦労して回復した人が、何故か居心地が良くないのって、ブログの世界だけじゃなかったみたいです。
向精神薬の何が本当の問題なのか?
これは理解を得るのはなかなか難しいです。
そもそも当事者間でも考え方が全然違う、こんな薬害も珍しい。
これが服薬の不利益が明白なメジャーなら、わりと簡単です。
例えば食欲のコントロールがきかなくなり、太って糖尿になり早死にする。
メジャーのメインの問題ではないですが、それでも十分重大過ぎるハッキリした問題です。
閉鎖病棟における服薬強制も立派な薬害であり、人権侵害であり犯罪ですが、
ベンゾ眠剤の場合は?
今現在も何百万人に処方が続けられ、大多数の方が何の疑いも持たずに飲み続けているわけです。
だからこそ重大なのですが、でもそんな薬害もこれまでありません。
それだけではなく、薬害を訴える当の被害者たちの多くも飲み続けている。
これも例がありません。
そして多くの「ベンゾ薬害被害者」が薬害を訴えながら、長く飲み続けること自体は問題では無いのだとまで主張しています。
もはや加害者側である医療や国ですらそうは言わなくなって久しいのに、です。
長年の働きかけが奏効して、遅まきながら我が国でも処方期間に厳しい制限がかけて久しい今になっても、です。
そこだけが浦島太郎状態、
こんな薬物も他に例がありません。
こうなると、もはや普通の人に理解してもらうのはムリです。
一体なにが問題なんですか?
理解されうるとしたら「依存とその症状としての否認の問題」という括りで、になってしまいます。
依存性は精神身体を問わず、もちろん大きな問題の一つです。
依存だから薬害じゃない、そんな理屈もありません。
アルコール依存症だって、断酒会は酒害と呼んでます。
ところが長く飲んでも問題無いと主張する「薬害被害者」も少なからずいるからややこしい。
そして実際、アルコールほどには長期使用のデメリットがハッキリと目に見えません。
長く飲んでも安全で、飲めば離脱症状が出ないのなら、一生飲めば良いだけのことで、一体なにが問題なのですか?
スモンやサリドマイドや薬害エイズを戦ってきた人にそう言われると、説明に窮してしまいます。
長く飲み続けることには何の問題もない、服薬期間は関係ない。
当事者が自らをそう騙し続けなければならなくなる
騙し続けて少しずつ心と身体を蝕まれていく。
私にはこれこそがこのクスリの怖さだと思うのですが、その時は上手く説明できませんでした。