ベンゾ止めて6年になりました | クスリに頼らない自遊人

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東大法卒のアル中です。ベンゾジアゼピンを断薬して6年が過ぎました。東大野球部応援とグルメ情報、映画レヴューとメンヘラネタが中心です。
コメントには塩対応なので悪しからず御了承下さい。

やっと6年です。


相変わらず自律神経は乱れ易く、緊張しがち

身体も硬く痛くなりやすいです。


まして人相手の緊張する仕事ではなおのこと。


今日みたく台風が来ると一発です。


これが離脱症状なのか後遺症なのか

元々の性格上の問題なのか?


それはわかりません、多分誰にもわかりません。


ただ、7年間もベンゾを飲み続けたせいで、元々脆弱だった心身が更に圧倒的に脆くなってしまったのは間違いありません。


「回復には飲んだだけの時間がかかる」


不眠でも不安でも

たとえばそれがいわゆる離脱症状と呼ばれるものであったとしても


飲んで解決した体験は決して消えません。


ベンゾで解決した回数と時間だけ、他の方法で解決する学習が必要になる。


先行く仲間の言葉の意味を今さらながら痛感しています。


断薬6年経った今

私は何に「依存」していたのか?

なんとなく解る気がしています。


酒にギャンブルに異性にセックス…


刺激的なこと全般


様々なものに逃げ場というか、生きてる実感を求めてドップリ漬かって来ましたが、


快楽を求めて、では決してないです



忘れられるからでしたね


自慰行為のような自己憐憫の惨めさを


あるいは逆に

自己憐憫に、

自分可哀想にドップリ漬かって酔えるから



最後の最後に捕まったのがベンゾだったというのは、ある意味とても象徴的です。


だって

酒やギャンブルが止められなくても、軽蔑されるだけで

だれも同情なんかしてくれない


可哀想だとは言ってくれないから。


ベンゾや向精神薬は違いました


可哀想だ、と言ってもらえるんです。


こんなクスリ飲まなきゃいけないなんて!


深刻な病気だなんて


何て可哀想な人!


飲まなきゃいけない原因がうつでも不安でも不眠でも


あるいは離脱症状でも


それはあまり重要ではなかった


薬にも快楽なんか求めてませんでした。

キモチ良くもなりませんでした


多分、治る事すら望んでなかったです。



だから精神依存じゃない、とか


止められなかったのは身体依存だけだった

離脱症状だけが問題だった


止めてしまえば自分には何の問題もない


依存症なんかじゃない

とかね


少なくともそれは私については嘘っぱちでしたね。



可哀想な人でいたかった


向精神薬飲まなきゃいけないほど、苦しんで壊されて苦しめられた人でいたかった。


だから飲み続けてなければいけなかった


離脱症状が死ぬほど苦しくて悶絶してる、可哀想な人じゃなきゃいけなかった


だれか自分以外の何者かのせいで…


辛く苦しい経験してきたんだから、もう苦しまなくていいんだよ


無理して止めなくていいんだよ


あなたは悪くないんだから


可哀想なだけなんだから


被害者なんだから


酒やアルコールでは決して味わえない


そのポジションにこそ依存していたんだと思います。


それこそが 

ベンゾを断薬し、手放して生きるための最大の障害だった



だって

もはや可哀想な人ではなくなってしまうから。


そうなれば自分が失くなってしまう気がしてたんでしょう

心のどこかで


6年目にしてようやくそれに気がつきました。


自分が最後まで手放すのが難しかった、

執着し、依存していたものがなんであったか?