減断薬を妨げたもの | クスリに頼らない自遊人

クスリに頼らない自遊人

東大法卒のアル中です。ベンゾジアゼピンを断薬して6年が過ぎました。東大野球部応援とグルメ情報、映画レヴューとメンヘラネタが中心です。
コメントには塩対応なので悪しからず御了承下さい。

言葉は厳しいのですが、

自分もそうだったと、いう自戒の意味でリブログさせてもらいます。

心当たりのある方はとても多いと思います。

ただ「○○者」というレッテル貼りは、私含めてアディクションやうつ、あるいは離脱中で心を病む人共通の課題だと認識しています。

自己評価と自尊感情が低いから。どうしても人との比較で、間違い探しをして、「私は違う」と満足感得ようとしてしまう

迷える子羊を啓蒙することで、救済することで自己満足を得たい、そんな神意識でもあります。

で、人は変えられない
決して変わってはくれないからイライラ⚡⚡する。

コントロール欲求😅

私もクスリから離脱できてても、そこから卒業はできてはいません。

だからまだここにいるんですけどね💦

なぜ被害者意識が離脱の妨げになるか? 

理由が大切ですね。

それは 
まず、酔ってるからです、その「自分可哀想」な自分と状況に。

アディクションです
だから抜けられません。

自分だけなら兎も角、SNS
の中でそれを可哀想がって、可哀想って認めてもらえる。

回復には最悪です。

私も減薬で苦しんでる時に、ベンゾ村のSNSは読んでました。

離脱症状が厳しいは、ベンゾ脳だわで「書く」ことなんか到底出来なかった。

それが良かったと思います。

この世界に「認めてもらえる、そのまで良いといってもらえる、可哀想な、バーチャルな私」を誕生させずにすんだから。

その頃はリアル世界を失ってましたし、

そんなもの産まれさせたら、
まして、神かカリスマみたいになっちゃったら

その自分を決して手放せません。

「傷つけられた、止めてやる」そんな仮想空間での自傷行為を何度も何度も繰り返して居座り続けます。

結果、その可哀想な状態からも到底離脱なんか出来なかったと確信しています。

精神科に行ったのも、精神科のお薬そのものも究極の「自分可哀想」証明書でした。

自分は悪くない
病気だから
精神を病むほど、酷いめに会わせた会社や上司、家族が悪いのだから

見て、私、こんなに傷ついてる

私はこんなにアンタラに傷つけられちゃったんだよ!

可哀想でしょう?


自傷行為。
クスリはリスカの包帯と同じです

悪いものと解っていて延々飲み続けるのも、同じ意味で自傷行為で、アディクションです。

そもそも

飲み続ける=自分を痛め続けてる

だし。

こんなこと続けてる間は絶対にそこから抜け出せません。クスリ止めるなんてムリ

いや止めたくないんです。


次に格好の「言い訳」だから。
自分は悪くないから、自分の方は変える必要がない、というロジック。

その意味では薬害という言葉は便利ですし

薬害であることに何の疑問もないのですが

「薬害だから依存じゃない」

そんな摩訶不思議、非論理的な言葉が妙な納得感を伴って蔓延してしまった。

そして

被害者だから
自分以外の誰かが、何かが
こともあろうに他のクスリとか、精神科とかが

なんとかしてくれるべきだ。

それが
私が「止める」ではなく
誰かが「止めさせてくれる」
「そのうちスーっと止められる」
でないと理不尽

みたいな、あり得ない解決を外に求めさせるようになってます。

それが明らかに理屈に合わない減断薬法にも繋がってしまう。

よく出す例えですが
ひき逃げされて、重い障害を負ったからといって、加害者はリハビリに何の役にも立ちません。

被害者だからと言ってリハビリが要らない、そのうち回復するなんてことも絶対ありません。

そんな変なこと考えもしません、回復したけりゃ黙って黙々とリハビリに励みます。

なのに
何故かクスリで壊れてた自分はそんな風には決して考えない。

何とかしろ!
と言う

「それが被害者として同然の権利だ!」位に思ってたんでしょうね。

そう、
被害者だから許される。
これがヤバいんです。

自分を変えないことも
人を傷つけることも
好き放題書くことも

飲み続けることも、です

だって…

悪いのはアイつらだから
アイつらが私を傷つけたのだから

次回MDAA昼のZOOMミーティングの予定。(原則毎週木曜日開催です)

夜のミーティングは原則毎週日曜日、20時から開いてます。

◇日時
 1月14日(木) 1300-1430
◇ミーティングID/ PC:
  ID : 623 067 2924
  PC: 8sxhBn  
◇テーマ
対人関係
コミュニケーションスキル