恐怖と狂気 - 抑えようとしたもの | クスリに頼らない自遊人

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東大法卒のアル中です。ベンゾジアゼピンを断薬して6年が過ぎました。東大野球部応援とグルメ情報、映画レヴューとメンヘラネタが中心です。
コメントには塩対応なので悪しからず御了承下さい。

医原性・薬害を除いて、大戦後に最大のアルコール・薬物依存症者を生み出したイベントは? と言えば

ベトナム戦争らしい。

動員された延べ250万のアメリカ兵、凄惨な戦場、死と背中合わせの恐怖に晒され、帰還後も多くが深刻な心的外傷から恐怖を酔いで麻痺させなければ正気でいられなくなり、薬物とアルコールに捕まり、大勢の“先行く仲間”を生んだ。

恐怖を酔いで麻痺させなければ
正気でいられない

これが一番ヤバい。

恐怖は消えない、転移する。

恐怖の対象が孤独であれ、
高所閉所であれ
パワハラ上司であれ
家族の暴力であれ

酒やクスリで麻痺させることを覚えてしまうと

いつか恐怖の対象は酒やクスリが切れることに振り替わる。

何度か苛烈なベンゾ離脱症状を経験した後は、再び離脱症状に襲われるかも知れないことが

つまり

クスリが切れてしまうことが恐怖の対象になってました。

手元から無くなっていくのも恐怖

そのうち刻々と血中濃度が減って行くのが怖くてどうしようもなくなった。

恐怖から逃れようとすればするほど強くなった。

飲んで数時間もすれば血中濃度が20とか40%とか下がってしまう恐怖。
エクセルで表作って四六時中 “今◯◯%減った” 、次は何時に飲まなきゃ”

アタマの中はそればかり。


恐怖は狂気に直結しました。

変動を抑えるために、粉末処方にして日に10-20回に分けて飲もうと考えたり、

ジアゼパムを24時間点滴してもらいたい、それを少しずつ薄くして行くのが理想的な漸減法だと考えて、やってくれる病院を探したり、

自分で点滴道具や注射器を手に入れることまで考えてた。

自分の認識としては必死にベンゾを止めたい減らしたい、真剣に考えてるつもりでしたが、

その思考が恐怖とクスリに狂わされてしまってました。

ベンゾで抑えようとしていたのは
離脱症状だけじゃ無くて

恐怖と狂気だったみたいです。

結局飲むしか無かった、
本当に無力だったと思います。


*1月末までのMDAAスケジュールです。




1月26日(土) 13:30-16:30

MDAA府中

府中市民活動センター プラッツ 6階 会議室



1月26日(土)13:30~16:30 

13:00-16:00

MDAA大阪

会場:高槻マリア・インマクラダ幼稚園 大阪府高槻市野見町2-15

土曜日は休園日にあたりますので教会の入口から入ってください


1月27日(日) 13:30-15:30

MDAA福岡

会場: 東光公民館 
福岡県福岡市博多区東比恵2丁目21−22

1月27日 13:30-16:30

MDAA伊豆(沼津)

沼津大手町会館 

 静岡県沼津市大手町3丁目5-16


【連絡先】

MDAA田無・静岡M-Cafe       

 mdaa.tanashi@gmail.com

MDAA府中・伊豆  

  recovery.fuchu@gmail.com

MDAA川崎

mdaa.kawasaki@gmail.com

MDAA大阪

 mdaa.oosaka.sora@gmail.com

MDAA福岡

kiboufukuoka@yahoo.co.jp