覚醒剤の歴史 | クスリに頼らない自遊人

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東大法卒のアル中です。ベンゾジアゼピンを断薬して6年が過ぎました。東大野球部応援とグルメ情報、映画レヴューとメンヘラネタが中心です。
コメントには塩対応なので悪しからず御了承下さい。

①ヒロポン
メタンフェタミン
今でも覚醒剤中毒者はポン中と呼ばれることがある。
ヒロポンは覚醒剤の日本での商標。



大戦後暫くは普通にどこでも売っていた。

工場労働者なんかは「疲れがとれるクスリ」として飲まされてたし

有名な所ではサザエさん。
マスオさんのヒロポンをワカメちゃんが飲んでしまい、ラリッて踊ってしまう姿が描かれている。

1951年覚醒剤取締法施行により、医療機関向け以外の販売・使用は禁止される。

②リタリン
メチルフェニデート徐放剤
1957年に上市。
抗うつ剤などとして使われたが、中毒や乱用、自殺、違法な大量処方や医療機関による横流しなどが相次ぎ、漸次処方制限が強化され、現在はナルコレプシーのみ適応となっている。

③コンサータ
これもメチルフェニデート、リタリンの焼き直し。
2007年に18才未満の、2013年に18才以上のADHD治療薬として承認されている。

④ビバンセ
ADHD治療薬として承認が見込まれている。
リスデキサンフェタミン
これも厚生労働省により覚醒剤指定されている。


選択肢、逃げ場の少ない地方では、半ば強制的にクラスの半数がADHD治療薬を飲まされている学校もあるという話も聞く。