◎将棊頭山(棋ではない:長野県)は、木曽山脈:中央アルプスに属し、木曽駒ケ岳の北側にある。伊那谷から見上げると、将棋の駒の頭に見えるらしい。
◎山を下りて、帰る前に地元の農産物を売る店に寄り、ブルーベリーをゲットした。その折、軽トラックに乗った地元の人3人に、うしろを振り返って、「将棊頭山 どれか ご存知?」と聞いたが、「???」首をかしげておられた。山のてっぺんからは伊那の街が見下ろせたのだが・・。
◎黒丸Pで小休止。トイレを出ると庇の下にツバメの巣が二つ、泥制の巣の中にはそれぞれ3羽ずつの子ツバメが嘴を開けている。子ツバメといっても親より少し小さいぐらい、親ツバメが来て、パットどれかの口に餌を突っ込み、サッと飛び去って行く。朝8時に新大阪駅で、真鍋・町井の二人を乗せ豊中ICを目指したが、阪神高速の豊中ICと間違えそのまま中央環状線から吹田ICの名神高速に乗った、失敗した。
◎恵那SAで昼食と思ったが混んでいる、コンビニでかる~い弁当を買って車の中で喰った。信州が近づいても異常な暑さは続いている。「信州は涼しいのでは・・?」この暑さは標高1000メートルの“小黒川キャンプ場”でも同じであった。
◎テント場は“桂小場登山口”車で15分手前にある。3時前に着き2泊、4000円の場所代を払いテントを3人分張った。「明日は 3時起き 4時出発」「なので 早く寝ましょう」3時なんていう、こんな時間はかつてなかったが、最近のオレ、ジジイになって5時や6時には平気で起きられる、3時も無謀な時間じゃない。去年、上高地の横尾でテント泊をして、5時に登山口、夕方5時にテント場まで帰ってきた。
◎あまり冷えていないビールを飲み、冷凍の餃子、チヂミ、焼きそばを作っていただいた。腹いっぱいになりほろ酔いでテントに潜り込んですぐに寝てしまった。
◎3時半ごろに起き湯を沸かしコーヒーを、パンを喰って、行動の水、食料をザックに詰め車を走らせた。まだ真っ暗の中10分ほど走ると登山口がある。昨夜、食事中に上がっていった車があったが、3台ぐらいの車が止まっている。登山靴に履き替えヘッドランプを点けて歩き始めた。多少明るくなってきた。途中で朝焼けが出始め、まもなく陽の出かなと歩いた。
◎「やっぱり彼らだ 平出・中島 の二人だ 死亡が確認だって・・」オレはこの中島君が好きで、よく彼のドキュメントを見ていた。関西弁で朴訥で、先輩である平出から、上目線で言葉をかけられていた。中島がネパールあたりで、「ドローンを飛ばしてみよう」なんて言いながらの画像、さすが世界の屋根はすごい、と気に入っていた。これからどんどんあんな画像を撮って見せてもらいたかった。つくづく残念である。
◎空はだいぶ明るくなってきたが樹林帯の中はまだまだ暗くヘッドランプが離せない。土の登山道を登っていく、斜度はきつくないが高度を稼いでいく。左右には背丈ぐらいの笹が生えている。
◎この樹はなんの樹、カラマツである。北海道、岩手、長野で電信柱や鉄道枕木用に積極的に植林されたらしい。秋になるとこの紅葉が素晴らしい、全山赤っぽい黄金色に輝き好きな色調である。
◎黒褐色の鳥、スズメぐらいの大きさ、目の前をパッと5メートルほど飛んで行って小枝に止まる、オレが進んで行くとまた、パッと5メートルほど飛んで行って小枝に止まる、そんなことを5.6回繰り返し最後は横の方に飛び去った。サントリー鳥図鑑で調べてみたが、コレと確定できない。
◎6時頃に分岐道があり、横山と書いてある。地図を調べると、1700Mから1900Mあたりに3本の分岐がある。横山は我々が登った登山口のまだ下の方の集落からの道のようだ。もう2本は北に向かって、権兵衛峠つながっている。地図では権兵衛街道と出ているが、機会があれば行ってみたいところである。昔、警察官に案内されて、「権兵衛峠はこっちです 気を付けて」と車で走ったことがあった。鄙びた山道を走った覚えがあるが、あれがそうだったのかもしれない。
◎6:30標高は2000Mぐらい、馬返しの標識がある。長野県は馬文化の地、ここまで何を運んできたのか、ここからは馬も登れぬ急峻になるということか、中世のにおいを感じ取っている。