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晴走雨読な日々〜Days of Run & Books〜

晴れた日は山に登り街を走り、 雨の日は好きな音楽を聞きながら本を読む
そんな暮らしがいい!

箕面観光ボランティアガイド(MVG)が行うハイクイベントには

・予約なしで当日参加できるオープンハイク

・定員があり予約が必要な募集型ハイク

・二人以上の希望者で行う依頼ハイク

があります。

 

MVGのメンバーになって初めて

「西国街道ぶらりぶらり」

という募集型ハイクに参加してきました。

 

3月20日祝日木曜日

 

いつもの箕面駅前ではなく、この日の集合場所は阪急宝塚線石橋阪大前駅。参加したガイドは7名、一般参加者は20名の定員に対して14名でした。

 

この日のコースです。

(ゴールしてからガーミンを止めるのを忘れて、帰りのバスの中でで気がついたので長くなっています。(赤い線))

 

10時過ぎにスタート。石橋商店街を抜けると、阪急宝塚線の踏切にさっそく西国街道の表示があります。(地図①)

ここは西国街道と能勢街道が交わるところです。

 

そのすぐ横には「石橋」の名前の由来となった、石の橋が架かっていた川の名残がありました。

(写真のコンクリート部分)

 

残っている石の道標には、「大坂」とか「西宮」「妙見」などの地名を読み取ることができます。

 

近くの石橋地蔵堂前でこの日の行程説明を行いました。

 

石橋のある池田市から箕面市に入り、鎌倉幕府の滅亡につながる「瀬川・豊島河原の合戦」があったという箕面川に架かる今井橋を眺めながら、その前後の時代の歴史解説を行います。(地図②)

 

東に進み、みのお自動車教習所横にあったのが、西国街道を行き交う大名行列の宿があった「瀬川・半町(はんじょう)立会本陣」の跡。(地図③)

残っていた門も阪神大震災で倒壊してしまい、今は駐車場になっています。

 

少し西国街道を外れて、「大威徳明王」と刻まれた傘卒塔婆の前へ。この塔婆の周りを牛を引いて農作業の安全を祈願したので「牛回しの石塔」と呼ばれているそうです。

 

再び西国街道に戻って牧落(まきおち)地区に入ります。道路幅が広いのは阪急箕面線の線路があったからという先輩の説明。

 

牧落八幡大神宮でトイレ休憩。

 

牧落会館は旗本の蔵があった跡(牧落郷倉)で

 

その横には、三斗(45kg)・四斗(60kg)・五斗(75kg)と書かれた「力試しの力石」が残されています。

 

その先の、西国街道と箕面街道とが交差する場所は、昔は牧落高札場があったところで、道標も残っています。(地図④)

「みのおみち」「大坂」「はっとり天神」などの文字が読み取れます。

 

再び西国街道を外れ、教学寺に寄り道。(地図⑤)

 

ここは「カルピス」をの創業者三島海雲が生まれたお寺で、その業績を称えた記念碑が建てられています。

 

その先の西脇公園で、20分ほど昼食・トイレ休憩。

 

先に進みます。沿道にあった「芝村の高札場」跡を眺めながら

 

着いたのは、萱野三平旧邸涓泉亭 けんせんてい)です。(地図⑥)

 

四十八人目の赤穂義士として知られる萱野三平が自刃した場所で、彼の最期の模様を解説します。

 

新しくできた箕面萱野駅を眺めながら進むと

 

「みのお山」への道標が残っていました。

 

近くの児童公園には愛宕社が残っています。中には京都の愛宕神社からいただいた「火迺要慎」の護符があります。

 

箕面市内に15基ある庚申塔。庚申信仰の守神である「青面金剛」の名前が彫られています。

 

京都にある、眼病に霊験あらたかな柳谷観音の信者が建てた石塔。

 

箕面勝尾寺旧表参道の起点になる大鳥居まで来ました。(地図⑦)

私は何度も訪れているお馴染みの場所で、三十六町石が残っています。

 

この辺りは箕面市の粟生(あお)地区で、民家の軒先に掛かっている桶は、箕面瀧安寺の護摩供養の灰を入れて運び、農作物の虫除けに使ったものだそうです。

 

小野原地区に入る西端にある常夜燈籠には、金毘羅大権現の名が

 

東端の常夜燈籠には大神宮(伊勢神宮)と刻まれ、伝染病を村に入れない願いを込めたものだそうです。

 

東の燈籠がある場所には「楠水(くすすい)龍王」という名水があり(地図⑧)

 

その昔、楠木正成が最期となる湊川の戦いに向かう途中に立ち寄った井戸があったそうです。道標には「左ふしみ道」と彫られています

(井戸は今もありますが、民家の中なので見られません)

 

そのすぐ横には、市内にいくつかある春日神社の御旅所。

 

箕面市と茨木市の境にある道標には、「豊川学校」(今の豊川小学校)と「勝尾寺」の文字が残っています。豊川小学校は、同級生だった川端康成と笹川良一の出身校ということで有名です。

 

茨木市に入り、市内に九つある春日神社のひとつの前を通り

 

その先の宿川原西会館の前には、バラバラにあった四つの道標が集められています。「かつをうじ」や「そうじ寺」の文字がかろうじて読めます。

 

この日のゴールは「郡山宿本陣」。(地図⑨)

 

庭に咲く椿が有名だったので別名「椿本陣」とも呼ばれている名所です。浅野内匠頭が宿泊した宿帳などが残っているそうですが、今は見学できません。

 

時刻は16時前。歩いた距離は12kmほどですが、6時間かけてのんびり巡ったことになります。

 

今回解説は先輩ガイドにお任せして、私は参加者の安全確認(西国街道は以外に車が多い)や、話し相手を務めました。この日渡された資料は10枚以上に渡り、歴史好きの先輩たちが熱心に編集したものだそうです。貴重な資料を引き継げるように、私も頑張らなくてはと思った1日でした。