こんな経験をしたことありませんか?
ある会議であることが決定される。終わった後、三々五々飲み屋などに行く。そこで、その決定についての「会議室の空気」が無くなって、「飲み屋の空気」になった状態で、雑談が始まる。そして「あの場の空気では、ああ言わざるを得なかったけど、あの決定はちょっとね.....。」といったことが「飲み屋の空気」で言われることになり、そこで出る結論は全く別のものになる。
その場の「空気に支配される」ということはどういうことか?それは日本だけでなく、欧米をはじめとする海外の国でも起こることなのか?
この本はそういう「空気」というのがどういうものなのかを、いろいろな事例を紹介しながら、説明しています。
著者の山本七平さんは、日本陸軍の兵士として太平洋戦争を経験して、九死に一生を得て帰国。戦後は旧約聖書の世界を研究して、その独自の歴史観と宗教観で神話を現実の世界に置き換えて様々な著書や訳書を出版。そして、1970年代にベストセラー「日本人とユダヤ人」を書き、日本人論の走りとなった博学の人です。
この本は1977年に刊行されましたが、現代にも通じる普遍的な日本人の思考回路を解説した本として、今でもよく取り上げられています。
今風の言葉で言えば「同調圧力」とか「忖度」ということになりますが、日本人社会独特の、論理や法律・倫理を超えて人々の行動や意思決定を支配する「空気」とは何か?
具体的な事例がいくつか紹介される中で、元軍人だけあって、特に戦争に関連するものに説得力があります。
私が少し前に見た映画「開戦前夜」でもありましたが、太平洋戦争開始前、当時のエリート達を集めて様々な資料やデータを検討した結果、短期的には勝利するものの、長引けば物資に勝るアメリカに負けると結論が出たのに、当時の社会風潮や世論の「空気」で開戦に向かわざるを得なかったこと。
また、戦争末期に、戦艦大和を出撃させることが無謀と言われたにも関わらず、その時の「空気」で出撃せざるを得なかったという史実。この時も司令長官をはじめ海軍のエリート達が、「作戦として形をなさない」と思ったにも関わらず、後に「ああせざるを得なかった」と答えた不思議。
この本の中で、「臨在感的(りんざいかんてき)把握」という言葉が、キーワードとしてよく出てきます。これは、物質や状況に「何らかの霊的な力や意味」が宿っているように感じてしまうことで、日本人特有の心理傾向で、もちろん欧米人にはありません。
これは日本人のDNAみたいなもので、歴史上に繰り返し現れる傾向と言ってもいいでしょう。SNSが発達した現代でも、大勢がある方向に向かうと科学的な検証や事実を直視しなくて、雰囲気や感情に飲まれて一斉にそちらに向かってしまうことがよくありますね。
直近では、コロナ禍の時に同じようなことが起きた気がします。
本書では、その場の「空気」に反する発言をすることは、「水を差す」行為として厳しく糾弾されることの説明も書かれています。
半世紀以上前に書かれた本ですが、改めてこれを読むと、日本人は根本的なところは変わらないな、と再認識できました。
