高山右近の里を訪ねる | 晴走雨読な日々〜Days of Run & Books〜

晴走雨読な日々〜Days of Run & Books〜

晴れた日は山に登り街を走り、 雨の日は好きな音楽を聞きながら本を読む
そんな暮らしがいい!

私が所属している箕面観光ボランティアガイド(MVG)の活動の一つとして、自主研修ハイク(自主研)があります。

 

これは通常のオープンハイクや募集型ハイク以外に、ガイド仲間の知識向上や新しいハイキング企画のために不定期で行うものです。不定期といっても年度初めにテーマを決めて年間計画を立て、今年度は11本の自主研が持ち回りで予定されています。

 

先日「高山右近の里を訪ねる」という自主研があったので、面白そうと思って参加してきました。

 

箕面市に隣接する豊能郡に高山地区というエリアがあり、ここがキリシタン大名として有名な高山右近が生まれた場所になります。

 

🥾=🥾=🥾=🥾=🥾=🥾=🥾=🥾=🥾

 

6月21日土曜日の朝9時過ぎ、集合場所になった箕面萱野駅のバス乗り場に集まったMVGメンバーは25名。ここから阪急バスに乗り、一気に高山地区を目指します。

 

萱野駅から箕面グリーンロードという有料のトンネルを抜けて、止々呂美地区を経由して、バスに揺られること30分ほどで、高山のバス停に着きました。

 

この日のコース。

 

田んぼの向こうに「右近の郷」というプレートが見えます。廃校になった高山小学校を改修したコミュニティセンターだそうです。

 

この辺りで標高400mほどあるので町中ほど暑さはあまり感じませんが、日差しがきついので日傘をかざすメンバーもいました。

 

最初に目指したのは「高山マリアの墓」です。所々にこんな案内板が建てられていて分かりやすい。

 

農道を踏み分けて林の中に入ると

 

小さな墓石が3つ残っている古墳のような盛り土の場所があり、反対側にも墓石がひとつ残っています。これが「高山マリアの墓」(地図①)だそうです。

 

マリアというのは後年付けられたそうで、元々はキリスト教禁教後の江戸時代中期に亡くなった、2組のキリシタン夫婦の墓だとか。

 

次に訪れたのは、浄土真宗の光明寺(地図②)。勝尾寺の開祖である開成皇子が奥之院として創建したお寺だそうです。

 

住職のご好意で本堂に上がらせてもらい

 

非公開の親鸞聖人の木像も見せていただきました。

 

その近くにある高山高札場跡(地図③)。

 

慶應四年(明治元年)に書かれた札(掲示板)には、「切支丹云々.....」とあり、キリスト教禁止を徹底させる旨が書かれています。

 

近くの西方寺も参拝。

 

普通は仏教的な言葉が書かれている掲示板には、サン=テグジュペリの「星の王子さま」の有名な一節

「たいせつなことはね 目に見えないんだよ」

と張り出されていました。住職

がおられなかったので、なぜこれを貼り出したのかは分からずじまい。 

 

次に訪れたのは、高台にある「高山右近生誕地碑」(地図④)。

 

高山右近はこの地方の豪族の嫡男として、この辺りにあった屋敷で生まれたそうです。

 

その奥にあるのが八幡神社

 

神社と言いながら、左から阿多古神社、薬師如来観音堂、稲荷神社、八幡神社と、神仏混合のお社が4つあります。

 

ちょっと登りますけど、高山城址に行ってみますか?ということになり

 

山道をしばらく登ると

 

標高490mにある高山城址(地図⑤)に到着。昔は高山の集落を一望できたのがわかる場所です。城主が住んだわけではなく、街道の防衛・監視がメインだったようですね。

 

再び麓に降りて、住吉神社(地図⑥)で昼食タイム。

 

敷地も広く古い神社ですが、宮司さんが常駐しているわけではないようです。

 

境内には、なぜか四等三角点がありました。

 

昼食後は、この日のリーダーWさんが、高山右近の生涯をパワポで説明してくださいました。

 

戦国時代のキリシタン大名として知られる右近は、この地に生まれた後、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康という三英傑に仕えますが、キリシタンであるが故に時の権力者に翻弄され、最後は家康によってマニラに国外追放され、そこで亡くなります。

 

住吉神社の裏山には大阪府唯一の指定記念樹「オヒョウ」の木があります。

 

葉先が複数に分かれているのが特徴だとか。

 

高山のある豊能町は全域がワイン特区に認定され、昼夜の寒暖差がある高山地区でも棚田の休耕田を転用してブドウを栽培し、「とよの高山ワイナリー」としてワイン造りも行われているそうです。

 

そのワインが売られているというコミュニティセンター「右近の郷」(地図⑦)へ。

 

売店がありますが、日曜日だけの営業でこの日はお休みでした。

 

小学校の校庭はキャンプサイトにもなっているようで、校庭の端には高山右近・志野夫妻の石像が建てられていました。

 

その近くのはこんな道標(地図⑧)が残っていました。

 

右 みのを八十丁(箕面の西江寺まで約8.8km、いわゆる高山道の起点です)

左 かつをぢ三十丁(勝尾寺まで約3.3km)

 

別の面には

左 妙見山 八十八丁(約9.6km)と彫られています。

 

半径1km以内にコンパクトに収まっている高山右近の里巡りはこれで終了。ここから車道に沿って北摂霊園のバス停まで歩いて向かいます。

 

14時半過ぎ、箕面萱野駅までバスで戻って解散しました。

 

🥾=🥾=🥾=🥾=🥾=🥾=🥾=🥾=🥾

 

高山右近や高山道の名前は知っていたものの、実際にゆかりの地に行ったおかげで、これからのガイド活動に説得力が増したのは間違いありません。実質5kmほどののんびりハイクでしたが、これはこれで面白かったです。