「関西フォーク」と聞いて懐かしい!と思うのは、おそらくかなり年代が上の人でしょう。私もその一人なので、題名に惹かれてこんな本を読んでみました。題名からすると、関西フォークの歌い手の紹介やその音楽性の解説、そしてそれが社会に及ぼした影響が書かれているのかな?と思って手に取ってみたのです。
しかしその予想は外れました。副題に「声の対抗文化と現代詩」とあるように、これはフォークソングの歌詞やその歌い手が書いた「現代詩」に焦点を当てて、それと当時の社会との関係を解説したものでした。著者は音楽評論家とかではなく同志社大学文学部の先生なので、事前にそれを知っていれば分かることでしたが。
なので、内容は結構難しいです。敢えていうなら、文学論文を読んでいるような、難解な箇所もあります。
「関西フォーク」という名前にはっきりとした定義はありません。1970年前後に主に関西で流行していた歌のスタイルというのが一般的な印象ですね。
この本の序章にでは、関西フォークの成り立ちと社会背景、そしてなぜ「詩」に焦点を当ててこの本を書いたか書かれているので、ざっとまとめてみます。
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「フォークソング」というのは、元々アメリカで1930年代から歌われ始めた、いわば「アメリカ民謡」のこと。その後、1950年代からの公民権運動の中で受け継がれ、ベトナム戦争に対する反戦・反体制を訴える政治的なメッセージを含む歌になる。
ジョーン・バエズ、PPM、ボブ・ディランなどがその当時人気だったシンガーで、自分たちで歌詞を書いて曲をつけ歌うという、いわば「シンガー・ソングライター」の走りだった。
そんな歌が日本に入って来た1960年代後半、高石ともや(当時は高石友也)や岡林信康をはじめとするフォークシンガーが活躍することに。
当時はラジオの深夜放送や、URCという今でいうインディーズレーベルでのレコードという二つのメディアで、フォークは若者の間に広く認識されるようになる。
その後、ベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)などの社会活動にシンガーたちが関わることで、日本でもプロテストソングとして広がっていき、当時の学生運動や反戦運動と繋がる対抗文化(カウンターカルチャー)のひとつとして成立するようになる。
メジャーが配給する歌謡曲などとは全く異なる方法で、自らが作詞作曲した楽曲を自ら歌うという、今では当たり前となったスタイルを再確認するために、その歌詞と<詩>の関係を考えてみたい。
と、いうことです。
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第1章では、フォークソングの詩(=話し言葉)を評価して、その歌詞を理論的に支えた片桐ユズルという詩人を取り上げています。初めて聞く名前でしたが、鶴見俊輔らと共同して、話し言葉としての詩を提唱したそうです。
第2章では、片桐と共に関西フォークを支えた作家たちに焦点を当てて、それぞれがフォークソングの隆盛に果たした役割を解説しています。
こちらもほとんどが知らない人たちで、小野十三郎とか谷川俊太郎くらいが分かる程度。
加川良の「教訓 Ⅰ 」なんていう懐かしい歌の歌詞も紹介されています。
第3章では、岡林信康の行動に注目。
関西フォークといえば岡林と言われるように、「山谷ブルース」や「友よ」はあまりにも有名ですね。彼は牧師の家に生まれてクリスチャンだったので、そんな出自から生まれた歌詞は、聴くものの胸を打つのが多かったですね。
一時期、部落解放運動にのめり込んで、「チューリップのアップリケ」とか「手紙」とか、周りの共感を呼ぶ歌が印象に残っています。
そんな彼も、労音など当時のプロモーターに酷使されたためか、後年農村に逃れたのにはびっくりしました。
第4章では、高田渡を取り上げています。
彼の父親が詩人だったというのを初めて知りました。その影響か、彼の詩には他のシンガーにはない魅力があると言います。
私といえば、ボソボソと喋りながら歌う暗いイメージしかないのですが.....。
第5章では、フォークゲリラに焦点を合わせた解説がありました。
アメリカでの公民権運動や反戦運動から人気になったフォークソングが入ってきて、日本でもフォーク集会などが開かれるようになります。主に関西ですが、それが東京に飛び火して、有名な新宿西口広場でのフォークゲリラに発展していきます。特定の団体に所属することなく臨機応変に活動するので、「ゲリラ」と呼ばれました。
そこで歌われたのは、「友よ」とか「We Shall Overcome」とかがよく取り上げられ、「自衛隊ブルース」とかの替え歌もあり、私の記憶にも微かに残っています。
しかし、広場は通路だという警察の解釈で機動隊が導入され逮捕者が出るようになると、次第に沈静化していきました。
第6章では、松本隆が取り上げられています。
あの有名な作曲家の松本隆がフォーク?というと意外な印象ですね。彼が所属していた「はっぴいえんど」は今でこそロックバンドとされていますが、当時は「風をあつめて」などに代表されるフォークっぽい歌も歌っていました。
彼の書く歌詞には、”風” とか”街”がよく使われていることに注目して、現代詩の一つの代表例としています。言われてみれば、なるほどですね。
第7章では、友部正人を取り上げています。
彼については高田渡と同様に暗い印象しか残っていません。今で言うと発達障害的な面があったかもしれません。彼の詩は分かりにくいのが多かったのですが、詩という面では結構評価が高いようです。
最後に、<関西>という地域性について。
なぜ、フォークソングが関西から広まったのか?
・東京の業界から離れていて、アマチュアとして活動していくことができた
・関西の「おちょくってナンボ」という気質が、歌の内容に合っていた
などと解説されています。
びっくりするのは、高石友也や高田渡、友部正人などの関西フォークの中心人物が、実は関西出身ではないということです。
10年にも満たない間に流行り廃れていった「関西フォーク」。久しぶりに聴き直してみたくなりました。当時の印象と、今聞く印象がどれだけ違うのか?比べてみるのも面白いかもしれません。