からの続きです。
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さてレース当日の10月15日。朝3時に起きて着替え。半袖短パンにアームカバーとゲイターを付けて、ザックに予備の水とジェル、お守り代わりの攣り予防タブレット、塩飴、スマホ、財布、予備のバッテリーとケーブルを入れると、なかなかの重さ。
ホテルの人が朝食代わりにと用意してくれた弁当を食べようとしても、この量は流石に完食は無理!でした。
4時に集合して、マイクロバスでスタート会場へ。
(カエルやカニが見えるのは?笑)
会場には、ウェルカムボードや
応援の横断幕がありました。
スタート会場の旧蕨岡中学校のグラウンドはこんな感じです。前日までの雨で地面の状態が心配でしたが、乾いていて全く支障なし。気温もそれほど寒くなく(15℃くらい)、上半身はアームカバーだけでOKで、持って来たウィンドブレーカーは要りませんでした。
アミノバイタルのゼリーと顆粒が配られていました。
荷物預けを済ませてトイレに並んでいるうちに、開会式が始まりました。選手宣誓は参加者の最高齢、何と93歳!のランナーでした。
開会式が終わるとゾロゾロとスタート地点へ移動。
篝火を焚いて、太鼓を叩いたりして、選手を鼓舞してくれます。
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5:30 レーススタート。まだ真っ暗ですが、ライトや篝火のおかげで、コースは意外に明るいです。こんな時間なのに、沿道の家の前では応援してくれる人たちがあちこちに。
事前に私なりに完走できるようにレースプランを立ててみました。50kmまではキロ7分で行き、80kmまではキロ8分、80km以降はキロ9分ペースと、ざっくりとしたものです。10kmごとの通過時間と7ヶ所ある関門時間、そして給水・給食場所をまとめて1枚のシートにしたのを持ってスタートしました。
しかし心の中は不安でいっぱいでした。暑かった夏場はほとんど走れなかったこと。大会前にロング走をするつもりが、最長でも20kmしか走っていなかったこと、などなど。
次第に夜が明けて、明るくなってきました。
途中で出会ったランナー。人気バスケ漫画「スラムダンク」の主人公桜木のユニフォームを着た沖縄から参加の青年の背中には、チーム監督の有名なセリフ
「あきらめたらそこで試合終了ですよ」
がプリントされています。(そうだよな)と思いながら走り続けたのですが.....。
16km過ぎから登り坂が始まりました。走って上がれないほどの勾配ではありませんが、ここは脚を温存するためにパワーウォークで登ります。
あちこちの大会でよく見かける、頭に矢の刺さった落武者ランナー(笑)。
給水場所(水・スポドリ・コーラ)はほぼ2〜3kmごとに全部で33箇所もあるので、携帯しなくても大丈夫でしたが、私は自分のペースで給水したいので、500mLのペットボトルをザックに入れて走りました。
給食場所も15ヶ所あり、バナナやおにぎり、パン、梅干し、塩飴などが用意されています。私は念の為に10kmごとに補給するつもりで、ジェルなどを携帯しました。
5kmほど続いた上り坂が終わり、ここから10kmほど急勾配の下りが始まります。
ここで調子に乗って走ってしまうと、後々大変なのでゆっくり下りますが、それでも降り切るころには太ももにダメージがきます。
下り切る手前あたりで、14時間ゴールのペーサーに抜かれてしまいました。予想していたより早かったのでびっくりしました(後で聞いたら予定よりかなり速いペースで走っていたそうです。)
やっと集落のあるところまで降りて来ました。時刻は10時過ぎ、陽も登って陰も少ないので暑くなって来ました。
36.6kmにある第1関門に着いたのが10:25で、閉鎖時刻の30分前。予定より30分以上も遅かったです。やっぱり登り坂でずっと歩いたのが響いています。
そこを過ぎると四万十川沿いに走るコースになります。天気はいいのですが、向かい風が結構きつい。
こんなトンネルの中も走ります。
川の対岸や高台から応援してくれる地元の人の声が聞こえて来て、励みになります。
40kmを過ぎる辺りには足に力が入らなくなり、歩いたり走ったりを繰り返すようになってしまいました。
やっとのことで50km地点に着いたのが12:40。予定していたペースより1時間も遅くなり、完走に黄信号が灯りました。
55km過ぎにある半家沈下橋。コース上に沈下橋は2つあり、これがその一つ。橋の袂にはカメラマンが待ち構えていて、その時だけは笑顔で走り抜けます。
56.5kmにある第2関門に着いたのが13:50で、なんと閉鎖4分前でした。5km先にある第3関門までは30分しかありません。キロ6分で走れば間に合いますが、とてもそんなスピードで走る力は残っていませんでした。
この時点で完走は諦め、エイドや景色を楽しみながら歩いて行きます。
第3関門の閉鎖時間14:23を過ぎて歩き続けていると、後ろから来た収容バスに呼び止められました。61.4km地点にある次の関門のレストステーションまで歩いて行きたいと言うと、できないと言われ、私のウルトラチャレンジはここで敢えなく終了。
収容バスは私のような関門アウトのランナーを拾いながら、ドナドナ状態でレストステーションまで向かいます。
(写真はその時の収容バス)
レストステーションに着いた時は既に給水や給食は片付けられて、撤収準備が始まっていました。軽く体を拭いて、計測チップを渡した後、ゴール地点に向かうバスに乗り換えます。
バスは時折レースコースを走るので、まだ頑張って走っているランナーを横目に進みます。
ゴール地点の中村中・高校のグラウンドには、こんな感じでゴールゲートが設けられています。
汗ばんだウエアを着替えた後、ランナー用の給水や給食があるエリアでしばらくウロウロ。既にゴールしたメンバーや応援のメンバーと連絡を取りながら、これからゴールするメンバーを待ちます。
17:29過ぎ、今回のツアーメンバーの一人で、12時間ゴールのペーサーをしたSさんがゴール。ゴール手前でひとりひとり名前がアナウンスされるので、とても分かりやすかったです。ゴールテープも地元の高校生が手際良く広げてくれます。
その15分後にも次々と仲間がゴール。
(写真は1週間前にフルマラソンをサブ4で走ったレジェンド女子メンバー。100kmを12時間16分でゴールするというモンスターです。)
19:30のゴール制限時間までには、100km走ったメンバーのうち11人が完走しました。素晴らしい!一人は事情あって沿道応援に回り、DNFは私を含めて2人だけでした。
制限時間を過ぎてゴールするランナーも、高校生たちが並んで拍手で出迎えてくれます。これは嬉しいですね。
大会終了が宣言された後は、夜空に花火が打ち上がりました。5分くらい続いたでしょうか、4年ぶりの開催ということで、今まで以上に豪華だったそうです。
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メンバー全員が揃ったところで、チャーターバスに乗り、日帰り温泉のある「四万十の宿」へ。100km走り切ったメンバーは、マイクロバスのステップを降りるのも大変そうです。
汗を流した後は、打ち上げ会場として予約しておいてくれた焼き鳥「森近」さんへ。
21:00過ぎから打ち上げスタート。ビールなどで乾杯した後、焼き鳥のコースでお腹いっぱい飲んだり食べたりしました。
1時間半ほど飲み食いした後は、大阪に向けて出発。渋滞は全くなく、翌16日の5時過ぎには大阪駅に着いてしまいました。そのまま仕事にに向かうというメンバーもいる中、私は家に帰りました。
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5年前のリベンジとばかりに走った100kmのウルトラマラソンでしたが、見事に返り討ちにあってしまいました。加齢による体力の低下は補えるはずがなく、スタート前から結果は分かっていた気もします。
来年は100kmは避けて、確実に完走できる60km(制限時間10時間)にエントリーしてみようかなと考えている、自分がいます。