天使ちゃんとの別れ… | 70歳母、小細胞肺がんになる

70歳母、小細胞肺がんになる

2015年1月、大好きな母が肺がんになりました。
『小細胞肺癌(縦隔、肺右肺門リンパ節転移、同側肺内転移)上大静脈症候群、低Na血症、進展型に近い限局型』
抗がん剤、放射線治療のち寛解。
再発、転移に怯えながら何気ない日常を大切に過ごしています。

母のお友達、大好きな天使ちゃんが旅立ちました。

天使ちゃんは進展型の小細胞肺癌でありながら認知症の母親の介護をしていた芯の通った強い女性でした。

食道癌の手術をして生死を彷徨いICUからの復活、必死のリハビリで日常生活を取り戻した矢先、肺小細胞癌が見つかりそれから2年8ヶ月の闘病生活だったかと思います。
天使ちゃんのお姉ちゃんのお話では今回入院する前にガンマナイフ、同時に受けたPET検査でもう全身あちこちに転移していたそうです。
ガンマで大きくなったものは叩いたけど物凄い数になっていたと。
2週間ごと抗がん剤治療で入院し自宅に帰れば母親の介護を2年以上繰り返しながらここまで良く頑張ってくれた…と。
おそらくハイカムチン12クールで耐性がついてから一気に全身に転移したのではないか。その頃から食欲も落ちていたと。前回からのパクリタキセルは天使ちゃんには全く効いていなかったんだと思う。ハイカムチンが12クール続いた事はかなり珍しいケースらしいです。

天使ちゃんは母の退院する1週間前にフォースラインかフィフスラインかちょっと定かではありませんが2クール目の抗がん剤(パクリタキセル+エトポシド)のため入院。
全身の痛みに加え食欲もなく看護師さんとトイレに行くのがやっとでした。
そんな体調でしたので抗がん剤も開始出来る訳でもなく…本人は早く抗がん剤を始めて欲しいと先生にお願いしていました。

母が退院している間に更に症状は悪化していた。それでも母が入院する2日前に天使ちゃんから電話があり会話している。
全然食べれない…調子が悪くて参っちゃうょ。抗がん剤もまだ打ってないし、いつ入院?早く来なょ。待ってるからね」って。
その日の夜からみたい。
母の入院当日私が病室に行った時はお薬のせいで意識レベルは低下、呼びかけには反応するけどすぐに目を閉じてしまう。ほとんど眠っている状態…
もう食べる事も出来ない…ナースコールも押せない…
もう分からないかも知れないけどって亡くなる前日母が天使ちゃんのベッドへ。
大部屋だったけど母が大きな声で
○○さん分かる?会いに来たよ」って天使ちゃんの変わり果てた姿に涙しながら言ったら目を開けた!でも見えていないようにも感じた。
誰?えっ(母の名前)さん?会いに来てくれたぁえーん嬉しい!嬉しくて涙が出てくるえーん」って!はっきりしっかり会話してる。これには近くにいた看護師さんもびっくり!
母が「元気になってまた私の病室に遊びに来てよ」って言ったら
(先生が)動いちゃダメだって…動いちゃダメだって
そして静かに目を閉じたのでその場を離れようとしたら
行かないで~そばにいて~両手を握ってて~」ってうわ言のように…
冷たいのに汗ばんだようなじっとりとした
天使ちゃんの手を母はしばらく握っていた。
その翌日でした。天使ちゃんは大部屋から処置室に運ばれ…しばらくして息を引き取ったそうです。57歳でした。

入院が重なると1日に何度も母のベッドに遊びに来てくれていた天使ちゃん。時に弱音を吐く母を叱り時に励まし合い愚痴り合い、家族同然だった。。
いつもポジティブでお話上手で元気で明るい天使ちゃん。あなたに会えて良かった。あなたがいたから母は前向きになれたんです。母にとって希望でした。
今までずっとありがとう。痛みも苦しみもない世界で今はゆっくり眠って下さい。

写真が撮れなかったので5ヶ月くらい前の母も天使ちゃんも元気だった頃の写真↓

1週間退院して自宅でリフレッシュした母は水曜日に再び入院し2ndライン2クール目(カルボプラチン+エトポシド)を3日間投与後、前回と同じく翌日から3日間連続でノイトロジンを注射し骨髄抑制に備えます。

最近は自分で勝手に酸素のカニューレを外してご飯を食べていたりトイレに行ってたりしています。トイレの移動は80くらいまで下がってしまうのでやめてもらいたい所ですが^^;

2クール目もどうか無事に何事もなく終わりますように…
天使ちゃんの分まで頑張って生きなきゃね…






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