自分自身に付いている 思いグセ
悲しみの感情 孤独感 怒り
これらは ドラマを作り出す
「私は嫌われている」
「いつも 一人ぼっち」
本当のところは どうかは わからないけど
そう思い込んで 疑わない
「〇〇だから しかたがない」
「私が〇〇したからだ」
と謙虚なふりをする
そして 自分を正当化する
正しいと言われるものの中でしか
生きてゆかれない
正しいもののためなら 自分を犠牲にしてもよいのだろうか?
犠牲とは 本当の自分を 認めないこと
悲しみを携えていると
悲しいと思う出来事は起きる
もし、悲しみのない
はつらつとした
曇りのない
透明感のある 自身でいたいのなら
そのもの 自体を手放すこと
それは その悲しみを認めて
共に呼吸をし 寄り添うこと
あたかも 他人のように 寄り添うこと
悲しみが認められれば
悲しみは 解かれ 自由となる
エネルギーは 自由になりたい
それが エネルギーの性質
臨終期に側に寄り添うセッション(ご依頼の方の元まで伺います)
4月以降月曜・金曜の午後開催
4月以降月曜・金曜の午後開催
DWD・「死に寄り添うコミュニティ」についての説明会開催のご案内
4/13開催