皆さま こんばんは

 

 

吉川 結希です

 

 

 

昨今 科学技術やテクノロジーは

 

 

飛躍的な進化を遂げ

 

 

AI、医療分野では遺伝子操作など

 

 

 

その分野を進む上で 「これ以上先に行ったらどうなるのだろう」と

 

 

 

感じるところまで きています

 

 

 

この不安はどこからきているのか

 

 

 

この先は 人類が体験したことのない 未知の世界であるから

 

 

 

人が 人間以上のものを 創り上げる 可能性が出てきているから

 

 

 

 

 

 

 

 

人は 自分の能力を超える者を見ると

 

 

それに 身をまかせる 傾向があると思います

 

 

患者さんが「先生に全てを任せます」というように

 

 

 

 

 

 

 

 

 

医療技術の進歩に伴い ますます 治療方法が

 

 

 

創られていくことと思います

 

 

 

人の寿命は 120歳までは生きられると 言われています

 

 

 

だからと言って 丸投げしていいのでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

医療優先の生命維持において

 

 

寿命が伸びるという長所の反面

 

 

人間味は 味気なくなるように感じます

 

 

ベッドの上から見える景色は

 

 

刺激の強すぎる 蛍光灯の光

 

 

医療機器のルートや 心電図モニター

 

 

鼻からは 消毒の匂い

 

 

耳からは 24時間途切れることなく

 

 

機械音が聞こえる

 

 

 

慌ただしく働く医療者の前に

 

 

家族は居場所を見つけられず

 

 

本人は ベッドの上で何を思うのでしょう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

家族を 傍へ呼び 個別に話したい あれこれ

 

 

幼い子供との 最後のスキンシップ

 

 

自分自身の死の受け入れと

 

 

幼い子供にも 悲しみを しっかり感じられる 

 

 

場を与えること

 

 

 

大人の悲しみの場に 子供も一緒にいて

 

 

 

子供にその感情の表出と

 

 

 

悲しみと 同時に起こる

 

 

 

怒りの感情に対しても 攻めることではなく

 

 

 

表に出し 認める場を与えること

 

 

 

子供が 大人となり

 

 

 

死が 意味のわからない 恐怖であると

 

 

 

人から 忌み嫌われるものであるという

 

 

 

認識とならないように

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

子供は 隠しても なんらかを察します

 

 

 

その悲しみを曖昧にし  憎しみを曖昧にし

 

 

 

亡くなりゆく人を 憎む なんてことはいけない

 

 

なんてひどい自分…

 

 

または、 「お母さんなんて 死んでしまえ!」って思ったから

 

 

死んでしまったんだ と罪悪感を持っていたりします

 

 

 

何十年も経ってから

 

 

 

なぜか自分自身を攻めていることに気がつきます

 

 

 

 

 

 

 

 

より人間味ある死 より自分らしい死

 

 

 

家族の作る料理の香るお部屋で

 

 

子供たちの遊ぶ声 近所の方が 寄ってくれるお部屋で

 

 

自分自身のベッドで 手を握ってもらい

 

 

大好きな人の手料理を 口にし

 

 

眠れない時は 大好きなお酒を少し嗜み

 

 

夕暮れの 日差しを受けながら

 

 

過ごすことも できる

 

 

 

どちらも 選択ができます

 

 

 

技術が進化するからこそ

 

 

 

自分自身はどう過ごしたいのか 意思を持つ

 

 

流されるのではなく こうしたいと発する

 

 

 

これは 他人の人生のことではなく

 

 

自分の人生の ことであるから