11月18日の「本当にいったい何をしたというのでしょうか」という言葉が心にしみました。
私も、考えても分かりません。
おそらく、ハラスメントを行う側にはきちんとした理由などなく、
「したいから、する」という感じなのかもしれませんね。
しかも、自らがしていることが、ハラスメントだとは意識していないのでしょう。
一部のメディアでは、この21世紀に、「いじめられる側が悪い」のような論理がまかり通っているので、非常に驚かされました。
「気に入らないという気持ちが生じてしまうこともある」ということと、
「いじめを実行しても良い」を混同したまま、大人になったのでしょうか?
つまり、もしも心の中で「気に入らない」と思ってしまったとしても、行動に移さないのが大人だと思うのですが…よくそんなことを人前で言えるなあと思ってしまいました。
それとも、ほかに何か理由があるのでしょうか?
また、「被害を受けたくないなら、被害の及ばないところへ行けばよい」のような論調もありました。
もちろん、生命や安全を守るための選択として、加害者から離れることは有効かもしれません。
しかし、それはあくまでも二次的な解決方法です。
ハラスメントをやめるのが、本当の解決です。
そして、加害者から離れる方法を取ると決めるのは、本来ならば誰でしょうか?
加害者ではなく、被害者でしょう!
ハラスメントを行う側の者が何を言っているのかと、非常になさけなくなりました。
日本の一部では、相変わらず加害者ばかりが大切にされているのだなあ…と思いました。
それから、メディアからの被害が原因だということを、伝えるメディアと、そうではないものがありますよね。
伝えないところは、「自分たちには、やましいところがあります」と自己紹介しているようなものだと思うのですが…
若い世代の方々の間には、
「報道を鵜呑みにして、原典に当たらないということは、恥ずかしいことだ」
「一つの情報源だけではなく、複数のものにあたらなければならない」
という認識が広まっていますよね?
実際の羽生選手の言葉やチームシリウス様の言葉、あるいは、他社の伝え方と照らし合わせた時に、
「故意に触れなかったのだ」と解釈されても、文句は言えないと思うのですが。
前回と同じく、「今はいったい何時代なのでしょうか」と思います。
各種ハラスメントやコンプラなどに厳しくなってきた現代社会と、一部のメディアとは、まるで別の世界に存在しているかのようです。
そして、一部のメディアは、現代的なモラルなどに着いていく気がない人を対象としているのだろうか…?などと思ってしまいました。
もちろん、全てのメディアがそうではないと思います。
メディアの側の過失という点を略さずに伝えているものがありましたし、羽生選手やチームシリウス様の言葉も分かるようにしてあるものもありました。
現代、そして、今後求められるであろうモラルなどについて、私自身も日々認識を新しくしていこうと思いました。