阿修羅ちゃんの後のモノローグなんですが、白羽生さんに狂気を感じてしまいました…

言葉の選択も、語り方も、凄みを感じます。

こんなにも弱っている相手に対して、爽やかに正論を説けるなんて…

これが「夢」の純粋さだったり、残酷さだったりするのかな…

「人間」対「人間」で行われる対話だったら、この状況で「みんな待ってるよ」なんて言えない気がするのです。

 

黒羽生さんから「ちゃんと見てもらいたい」という言葉を引き出した、白羽生さん。

「ちゃんと見てもらう」ために、仮面をつける黒羽生さん。

逆説的でゾクッとしました。

 

ここのモノローグ、イヤホンで聴くと、

始めの方が、音声がぐるぐる回ったり、波打ったりしているように感じられます。

(会場ではもっと音響効果がすごかったのかしら?)

そして、混沌を示すかのようなそんな音が、マスカレイドの美しい音に変わります。

黒羽生さんの選択した方法が、より悲しく感じられます。

 

この、仮面をつけるという手段は、果たして白羽生さんの本意だったのか??

2人の手が触れ合うことはないのですね。

 

 

(以下、普段あまり書かないことを記します。うまく言えないかもしれませんが、一度は書いておかなければいけない気がするので…)

 

プログラム世界や「物語」の世界の登場人物と、羽生選手本人とを、別のものとして見るのが好きだと、以前記しました。

でも、今は、限りなく同じものだと考えますね。

 

 

私も「みんな」の中の1人です。

 

2020全日本SPで、8年ぶり2度目の羽生選手沼に落ちました。

どう見ても動きがロックなのに、なぜこんなに温かくて柔らかいんだろうと思いました。

いろいろな人に対して、自ら足を運んで思いを伝えに行くロックスター。

多様なコミュニケーションの方法を、これでもかと提案してくるロックスター。

そんなふうに見えました。

 

温かくて幸せで泣けてきました。

羽生選手の背後に、「人間というもの」がある…と感じました。

 

 

でも、当の羽生選手は…?

 

 

何度も全日本のLMENを見ているうちに、

私が編曲予想や構成予想をして羽生選手を「待ってる」間に、

羽生選手は、すごく苦しんでいたのではないか…

とも思うようになりました。

羽生選手の方は、人間の温かみなんて感じられない状況なのかもしれない。

物理的に距離を置く必要があるご時世だから、というだけではなく、心の面でも。

 

でもそんなこと書けなかった。

もしも言葉にするとしても、ごく薄く書こう。

それよりも、提示されたものを全力で楽しむのが礼儀だと思いました。

 

 

 

羽生選手が私の書いたものを読んでいるとは思えません。

でも、直接届かなくても、私も羽生選手に仮面を着けさせたものの中の1人なのです。

 

 

 

一度きちんと書いておきたかった。

 

今後も、私は、お出しされたものを全力で美味しく頂くでしょうし、作品中の人物と羽生選手本人とを区別して記すことでしょう。

でも、こんなこともちょっとだけ考えています。