Heaven's here

There's nothing left for you to fear

 

年の初めに羽生選手に捧げたくなる歌詞です。

(歌全体の意味が全然違いますが、ご容赦を。)

 

プロ転向後、大変なことがたくさんあるのではないかと思います。

ファンが簡単に「恐れることなど無い」などと言ってはいけないのかもしれません。

でも、信じる道を突き進んでくれると嬉しいな。

 

全く別のお話の中で出た言葉なのですが、以前、山中伸弥氏がこのように言われていたのを思い出します。

初めてのことにエビデンスなど無いと。

どのような分野や、どのような状況でも、それは変わらないと思います。

根拠として参考になる事例はあると思いますが、羽生選手の仕事に完全な前例はありません。

エビデンスを作るのは、羽生選手と、ともに仕事をなさる方々です。

 

変わらぬ美しいスケーティングで、既成概念を覆す。

最高ではありませんか!

 

 

 

ところで、Let Me Entertain You の歌詞を最初に書いたのには、以下のような理由もありまして・・・

 

クラシックTV での、「音よりも演奏の方に合わせに行った」というお話が心に残りました。

永遠のライトファンが勝手に納得してしまい恐縮なのですが、

音の解釈や表現について、「ああっ!そうだったのか!」と、とても心に響いたのです。

 

ロンカプ(すっかり公称になったのですね)の感想を初めてこのブログに記した時、

「演奏者(清塚さん)の呼吸が表現されているようだった」

と書きました。

 

「ようだった」ではなくて、

本当に演奏に合わせていたのか!

 

そして、このブログに Let Me Entertain You の感想を長々と記したことがあるのですが、

「羽生選手が、足元で、全身で、演奏している!歌っている!」と、何度も何度も記しました。

 

もちろん、これは比喩表現です。

(羽生選手が実際に演技中に歌っていたことがありましたが、それを言いたいのではありませんでした♪)

 

でも、私は比喩のつもりで書いたけれど、

実のところは、純粋な「比喩」とは言えなかったのか・・・!?

と思いました。

 

 

Let Me Entertain You ですが、演技の全てが、音と素晴らしく調和していて心地良いです。

特に、使用音源の中の、ある楽器の音あるいはヴォーカルが初めて入るところの動きが、

音とともに在るという意味で、非常に自然に感じられます。

初めてではなく、少し間を置いて入って来るところもです。

音と動きが、互いにぴたっと吸い付くかのようです。

 

それって、演奏に合わせているからか!

と腑に落ちました。

 

勝手に分かった気になってしまい、本当に申し訳ないのですが、

キャメルスピンの最初の「He」、ステップシークエンスの左三連の前のブラケット、ハイキックの着氷などが、とりわけ、

音に合わせているというよりも、演奏に合わせているのだろうなあ・・・と思いました。

 

 

(さらに妄想をお許し頂けるならば・・・2020全日本SPを見た時、人間の温かさが演技から押し寄せてくるようで、涙が出ました。もしかすると、羽生選手が「媒体」となって、この曲に携わる人々の存在を感じさせてくれたからかもしれませんね。その土台を作ってくれたジェフにも感謝します。)