「プロローグ」八戸公演の前に、お馬鹿な感想と、お節介なお話です。
まずはお馬鹿感想♪
羽生選手の情報やお仕事をなかなか追えないのですが、以前から気になっていることがありまして。
広告の写真の羽生選手、時折、ジャパニーズヒーローっぽい商品の持ち方をしてません?
アニメや特撮のキャラクターが、戦う前に、変身アイテム・召喚ツール・戦闘用グッズなどを見せているような感じ。
(ごめんなさい・・・)
でも、そのような撮り方をしないと、商品に目が行かないのだろうな〜と思います。
まず羽生選手見ちゃいますよね!
さて、今回の「みやびやかなひと刻」のビジュアル、上手いなあと思いました。
どう考えても、まず、羽生選手を見てしまうと思います。
それなのに、控え目な持ち方をしている。
あっ、羽生選手の視線を追って行くと、商品があるのですね!
なるほど、上手いなあ!
(しかし、変身・召喚・戦闘を思わせる撮り方も、商品のコンセプトとしては、当たらずとも遠からずなのかしら・・・などと、勝手に想像してみるのでした。)
以下は、ちょっとお節介なお話。
「僕なんか」と、羽生選手、何度言ったのだろう。
先ほど、羽生選手の情報やお仕事をなかなか追えないと記しましたが、
そんな私の目や耳にも、たくさんの「僕なんか」が届きました。
いろいろ考えました。
新しい活動を始めるのですから、謙虚なのは当然?
「誰がそんな台詞を言っているの!?」などと突っ込まれるまでを、1セットとして想定しているのかな?
プロとして、自分に満足してしまったらお終いだと考えている?
プロアスリートの活動の場での発言なのですから、何らかの戦略的な意図はあるかもね・・・?
でも、本気で自己評価が低くなっているように感じるのです。
自分の存在の意味を決めるのは、自分以外のものだと思っているようで・・・
「採点競技を長くやってきたから」とか、「今後も人に見られる仕事をするから」では、説明がつかないものが伝わってくる。
羽生選手のこれまでの年月は、「自分がここにいていいのだろうか」と悩むことの連続だったのだと思います。
そして、その答えを「 Yes 」にするために、突き進むことの繰り返しだったのかな。
これからの羽生選手が元気に生きて行くために、「僕なんか」と言葉にすることは、大切なことなのかもしれません。
勝手に想像してしまって申し訳ないのですが、
もしもそうならば、いくらでも「僕なんか」と言ってほしいな。