羽生結弦さん、YouTubeチャンネル開設おめでとうございます!

「・・・はじめまして、ですか?」と思ってしまいましたが、

プロアスリートとしての新たな一歩として、「初めまして」なのですよね!

蝶が飛びました!

2つ前の記事の続きのような感じになりますが、

上のフロアへのボタンを着実に叩いて上昇しているようで、何よりです。

 

なお、Let's Go Crazy では、歌詞のこのあたりで、キャメルスピンでした。

力強く回転するフリーレッグで、エレベーターのボタンを激しく連打しているように見えます。

あるいは、エレベーターそのものを破壊しているように感じられるかもしれません。

 

 

さて、私は、Let's Go Crazyで 羽生さんやジェフの伝えたかったこととは 異なるものを受け取っているかもしれません。

聖書もよく分からないので、歌詞の意味も、適切にとらえているかどうか微妙なのですが・・・

 

聖職者が教えを説くようにして始まる曲であり、プログラムですよね?

 

 

天国という素晴らしい所は確かにありますが、それは、困難な人生を生き抜いてからの話です。

 

精神科医に対して、「どのくらい生きられるか」ではなく、「どのくらいの時間、心を損なわれずにいられるか」を尋ねる方が良いくらいに、人生は大変なものです。

それを、自力でなんとかしなければなりません。

 

でも、周りには同じような人たちがいるのです。

 

みなさん、困難を強いるものに、ただ引きずり下ろされるだけでよいのですか?

「大丈夫ですよ〜♪」としか言わないものに、流されていいのですか?

ただ、終わりを迎えますか?

 

生きましょう。クレイジーになりましょう。

エレベーターの上のフロアのボタンを叩いて、脱出しましょう。

 

 

こんなふうに、プリンスからのメッセージをとらえています。

(英語力も怪しくてすみません・・・)

 

 

怪しい理解ながら、どうして長々とこのようなことを記したのかというと・・・

 

歌詞の最後が「Take me away !」なのですよね。

 

これまで、聖職者が教えを説いてきた。あるいは、ロックスターが呼びかけてきた。

でも、聖職者やロックスターも、生きている1人の人間なのだなあ・・・

と、歌詞の終わりに考えさせられます。

 

 

ところで、私は、演技を見る時に、

スケーターと プログラム中の人物とを、別のものとしてとらえるのが好きです。

 

たとえば、「チョックさん演じるところの、プログラム中の女性」などという言い方を、

このブログの中で しばしば しています。

自分で書いておきながら何ですが、長いなあ・・・と思います!

 

時々、両者を区別せずに見ていることもありますが、多くの場合は、こんな見方をしています。

 

 

でも、プログラム中の人物も、氷から下りれば1人の人間だということを、忘れないようにしたい。

 

 

あるいは、強さを追求するアスリートも、生きている人間だということを忘れてはいけない。

 

古今東西「鉄人」と呼ばれるアスリートがいます。

フィギュアスケートでは、アリオナ・サフチェンコさんが思い浮かびます。

彼女は確かに「鉄人」と呼ばれるにふさわしい。

 

しかし、あくまでも「鉄のような人」なのであって、

「鉄そのもの」ではないということを、忘れないようにしたいです。

 

 

アスリートの個人的な事柄を詮索したり、プログラム世界が常に「アスリート本人」を反映しているという見方をしたいわけではありません。

 

氷の上に異世界を創り上げるアスリートも、

心を持った、この世に生きる人間だということを心に留めておきたいのです。