今回、かなりぼかした書き方をします。

このブログのトップページに、「ある事柄自体が悪いのではなく〜」と記していますが、もしもその元ネタが分かる方がいらっしゃれば、お読みいただけると嬉しいです。

 

 

今回のタイトルにした「都合の良い神様」という言葉。

それから、このブログのトップページに記している「正義のためなら人間はいくらでも残酷になれる」。

 

子ども向けコンテンツなのに、何て厳しいことを言うんだろう。しかもこの時期に!

と最初は思いました。

しかし、その時期だから、子ども達に伝える必要があるメッセージだったのだ、と後になって思いました。

 

 

 

たとえ「正義」の内容が妥当なものであったとしても、手段が妥当でなければ、せっかくの内容が疑われてしまう。

本当に「都合の良い神様」以外の方法は無かったのか?

「都合の良い神様」にされた人物はもちろん、「正義」によって救われるはずの人々に対しても、逆に酷いことをしていると気づかなかったのか?

あるいは、他の意図によるものなのか?

 

今回の件は、一応の決着がついたと言っていいのでしょうか。

しかし、本当の意味では終わっていないと思います。

今回の件は、おそらく氷山の一角なのでしょうし、これからも同様のことが起きる可能性があると思いました。