前回は、タラモロSPについて、

ピアノの音の表現が素敵〜♪音楽と一体化してる〜♪

タラソワちゃん月の女神☆モロゾフさんも異世界住人の情緒に溢れてる☆(←??)

という感じで感想を書いたのですが・・・

 

 

音の表現といえば、2020全日本選手権男子SPの前に、こんなことをこのブログに書いていたのでした♪

 

(羽生結弦選手のSPの曲がロビー・ウィリアムズのLet Me Entertain You だと知って、)

どの音をどう表現するんだろう?

本当に様々な音がたーくさん!たーのしい!

場面転換があるならば、ボーカルの加工度が高いところと低いところで分けたりするのかな?その部分をカットするかもしれないけれど!

 

 

 

実際に演技を見て、圧倒されました。

こんなに楽しいプログラムなのに、どうして冒頭から泣けてくるんだろう?いや、楽しい作品だからこそなのか・・・

本当に様々な音を、あるいは音のないところを、ずーっと表現していて、まるで作品中の人物が自分の意思で歌ったり演奏したりしているようでした。

 

このご時世に、3回もこのプログラムを見られたことに感謝します。(試合の後も選手関係者の皆様が安全に過ごせたことを願います)

 

 

そこでなのですが・・・

 

ドビュッシーの「月の光」から連想して比べてみるのはナンセンスかもしれませんが、

音の種類が多いということは、歌ったり演奏したりしている人の数が、より多いということだよなあ・・・

本当の楽器の音ではなくデジタルだったとしても、音作りの場に必ず人はいる。

音声の調整に関わる人も多いんだろうなあ・・・などと思いました。

 

 

 

もしかすると、羽生選手、様々な音の表現を通して、曲作りに関わるたくさんの人々の存在を、見る人に感じさせたかったのかな・・・

人と人との関わりが制限されるこの世の中だから。

Entertain とは、様々な人間の息吹を、見る人により大きく感じさせること。

 

このようなことも、使用曲の選択の理由の一つだったのかも・・・??

と、今更ながら思いました。

 

 

 

羽生選手の側には、このような意図はなかったかもしれません。

競技プロの使用曲の様々な音とは、あくまでも「競技者として表現すべきもの」なのだろうな・・・と思います。

 

でも・・・

 

妄想を膨らませて申し訳ないのですが、

もしも、一人で練習を続けた長い時間、使用曲に関わるたくさんの人々の存在を羽生選手が感じていたならば、嬉しいな・・・