近頃気になったことを、少しお話しさせてください。
昔も今も、オリンピックアスリートが国を背負って戦わなければならないことには変わりがないようです。
どのように国を背負うかという意味合いは、変化しているかもしれませんが。
それだけでも大変なことだと思いますが、最近は、それに加えて、
「縁もゆかりもない他人たちの、個々の思惑」まで背負わなければならなくなったのだなあ・・・と思いました。
個々人が、アスリートや関係者に対して、
自分の思い通りに相手が変わるようにと、直接に要求できてしまう・・・
(アスリートなどのSNSに直接書き込まずに、自分個人のSNSでやったから許される、というわけでもないと思います・・・)
書き方には留意しなければならないけれど、
正当な意見を、相手や、それを目にするであろう多くの人々のことを考えて述べるのならば、問題はないでしょう。
あるいは、
「無理なことを言っているかもしれないが、個人的に『こうだったらいいな』と思うことを書かせてもらえないだろうか?」
という姿勢があれば、まだ大丈夫なのかもしれません。
気軽に発信できるツールがあるということと、
「それを用いて何をどのように述べてもいい」ということとは、違うよなあ・・・
ところで、メダルって、アスリートのものですよね。
たとえ、アスリートが「皆様のおかげで得ることができたメダルです」のようなことを言ったとしても。
「皆様」の中に「自分」が含まれていると考えられる場合でも、
「自分」だけが「皆様」ではない・・・よね??
ただし、このような問題が明るみに出てきたことは良いことだと思いました。
これらのことがオープンにされることを通して、スポーツがより健全な方向に向かうように願います。
(追記)
グランパスの件は、トヨタ自動車が名古屋市を拒絶したわけではなく、
名古屋市の方から式の中止を打診 → トヨタ自動車と名古屋市が協議して中止を決定
・・・なのですよね?
河村市長が謝罪文を配達させたことに関しても、トヨタ自動車側が一方的に拒絶した、という記し方の報道があったので、少し気になりました。
問題の本質を見失わせる情報は困りますし、受け取り手も気をつけて読んだり視聴したりしなければ・・・と思いました。