昨日の記事は「よりによって、そこで切るか?」というところでお終いにしてしまいました。
決して、Let Me Entertain You というプログラムに悲しくさせられた・・・という意味ではないんです!
プログラムの一瞬一瞬に entertain されています!
何が言いたかったのかというと・・・
これ以前の部分でいろいろやってきたことを踏まえて着地するところが、そこなの?
と意外に感じてしまったんです。
これ以前の部分(歌詞の scream ♪ の前の4小節間)に何が起こっていたか・・・?
あくまでも私が言える範囲でですが、これまでのお話をちょっとまとめてみますね。
♪身体全体でビートを刻んだかと思うと、身体全体で歌い出す!
・・・と思ったら、やっぱりリズムを刻んでます?
あれ?やはり全身で歌ってる?
♪直線的な滑り、その後にやってくる弧、さらに小さなたくさんの弧、それからとにかく弧!
妙に足元がけしからん様子に見える・・・
♪高低差が、心情的にもローラーコースターだけど、物理的にもめっちゃローラーコースターだわ・・・
♪反時計回りの方法にもいろいろあるんだなあ。
♪脚韻を踏んでいる同じ歌詞( here )を、同じやり方では見せないよ♪
(同じ単語が、早くも 1小節ぶり2度目の出場です。対照的な動きで見せてくれます!)
♪印象的な動きを長くは見せない・・・
♪歌詞の母音も子音も滑ってやるぜ!
♪腕がシャキシャキ!
・・・いや、肩と肘と手首がよく回ってますね・・・
このような様々な事柄が、互いを引き立たせるかのように縒り合わさって、素敵な糸ができているみたい・・・と感じました。
短い時間の中に、対照的な動きがいろいろと散りばめられていますが(散りばめるというより凝縮されているのかも)、単なるてんこ盛りではなく、それらが有機的に作用しあっている気がしたのです。
ある動きのおかげで、他の動きが素敵に見える。その動きも、別の何かを素敵に見せている・・・という感じ。
そして、全体として、どこへ着地するんだろう?
とドキドキします!
コード進行の「行っくよー!」「これからどうなるの?」「どこに辿り着くの?」という響きと、動きがよく合っていて、この場面の着地点がどういうものになるのか、気になります!
その着地点なんですが、
あら・・・
透明感あふれてる・・・
透き通る様子が哀しみをイメージさせるくらいに。
すごーく綺麗なんですよ。
音とすっごく調和してます!
伸びやかな音(screamの発音)と合っていて、ここも全身で歌っているみたい。
1小節間に単語1つだけ!脚韻!という贅沢な部分が、よく表現されていると思いました。
一瞬エッジがフラットになると思うのですが、高く、スッと伸びていく感じ。
その前までは低い姿勢でターンしたり、腕を胸の前で曲げたりしていたので、押さえられていたものがしなやかに解き放たれたみたいです!
このあたりは、プログラム中でおそらく最も透明な音質の部分だと思います・・・?
(あくまでも個人的なイメージですが、響きがコンサートホールというか大聖堂というか!)
さて、このような素敵な場面なのですが・・・どんな情景を想像しますか?
(演技に圧倒されて情景を思い浮かべている場合じゃないわ!という方や、お出しされたものをそのまま味わう派の方もいらっしゃると思いますが・・・)
ここ、100人に聞いたら、かなり異なる100通りの答えが返ってくる部分なのでは?と思います。
何というか・・・「これまでの流れを踏まえて、1つのシーンの締めの部分を各自で思い描いてね!」という感じの動きに見えるんですよ・・・
何だか素敵なものがそこにあるのは確かだけれど、それが何なのかは、見る人が決めていい。透明なロックスターに、各自で色付けしてね・・・みたいな感じです。
このプログラム中に、そのようなところが他にもある気がします。
ここからは、さらに私の想像がたくさん入ってしまうのですが・・・
どれほど上質のエンターテインメントであっても、それが見る人の心を動かすか否かは見る側の事情にも左右されますよね。
相性やタイミングなど、エンターテイナー側にはどうしようもない問題があるかもしれません。
じゃあ、確実に Let Me Entertain You するために、見る人にも参加してもらえばいい!
という意図があるのかな?と思いました。
ちょっと別のお話になりますが、このプログラム、ドヤ感が持続しないですよね・・・
要素やカッコイイ動きを決めた後、まるで「今の動きどうだった?」と問い掛けんばかりに、フワッとした動きや表情に移る気がします。
やはり参加型ロックスターだなあ・・・と思ってしまいました!
(好きです!)