(今回はちょっと感情的というか、「おい大丈夫か・・・」ということを書くかもしれません)

 

羽生結弦選手の Let Me Entertain You を見て不思議に思ったのが、「ロックスター的プログラムなのに、なぜこんなに優しい動きや表情なんだろう?」ということでした。

 

ロック調SPである Let's Go Crazy 、パリの散歩道 との差別化を図ったのだろうか?

(パリの散歩道の使用曲は2つともブルースなのかな。でもロック調SPと言われる方がしっくりくるかも)

 

プログラム世界の解釈を、歌詞の意味に限定されることを防ぐため?

 

初戦なのでいろいろやってみた?取捨選択して磨いて固めるのは今後ということ?

 

などといろいろ考えました。

 

 

でも「ロック調プログラムなのに」という思い込みを捨てて、「ロック調プログラムだから」と考えると良いのかも・・・

 

 

既存の物に対する反骨精神や、世の中に対して風穴を開けようとするのがロックであるならば、

何だかトゲトゲしている世の中に対して物申したいのなら、尖ったやり方じゃダメだ。

それでは風穴は開けられない。同化しているように見えては人の心に響かない・・・ということなのかも?

 

競技プロとして、音楽表現に問題がない範囲で、

ロックスター物としての「文法」的なものを押さえた上で今の世の中とは反対のイメージの動きや表情を入れていったのかもしれない。

 

いや、逆かな?

今の社会が忘れがちな物事を想起させる動きなどが土壌で、そこにロックスターという木を植えたような感じなのかも。

 

 

そう考えると、温かさや人間らしさをこのプログラムから感じた理由が腑に落ちました。

 

キャメルアップワードで、「すごい」や「綺麗」の前に、「このプログラムの主人公の目には、何が映っているんだろう?彼が見ている世界ってどんなものなんだろう?」と感じました。こんなこと初めてだった。

 

初めて見た時に、あまりにも楽しくて泣けてきて、「何この謎プロ!」と思いました。

 

今のこの世の中のロックスターが、その在り方の最適解を持って迫ってきたからなのかもしれません。本当に素敵なプログラム。大好きです。