タッセルさんが不穏だったので、ちょっとセイバーの感想です。
物語の語り手は、作者のように見えることがあったとしても決して作者ではなくて、創造主の手の中にあるものですよね。
語り手もしおりも、物語と読者をつないでくれる大事なもの。でも、物語や読者あっての存在。
そんなタッセルさんがシンギュラリティに達し・・・いや、他者との関係に基づかない自分だけの価値に目覚めるのだろうかと思いました。
もしもそうだったら、なかなか面白そうです。
主人公の本業は小説家。ライダーとしての決め台詞は「物語の結末は俺が決める」。
作中の人物にして創造主!
(でも子どもたちに絵本の読み聞かせをしている描写があったので、作中での本との関わり方が1000パーセント創造主という訳ではないのかな?)
そんな立ち位置の主人公に、語り手にしてしおりであるキャラクターが絡んできたら楽しいだろうな。
物語を書き変える敵組織も作中の人物にして創造主なのでしょうし、タッセルさんが絡むと楽しそうです。
ところでタッセルさんの中の人は、Eテレの「お伝と伝じろう」(小学校国語の番組)にご出演のレ・ロマネスクTOBIさん。
この番組、結末を明らかに示さないことがあるんです。
コミュニケーションに課題を持つ子どもに、伝じろう君とお伝さん(レ・ロマネスクの2人)がアドバイスをする。子どもはそれをもとに考えてやってみる。
しかし、やってみた結果どうなったんだ?(他者にどのように受け取られたんだ?)というところまで描かないことがあります。
「こうすれば良い」という型を教えるのではなく、コミュニケーションを通してプログラミング的思考を養う番組なのかもしれないと思いました。
Eテレの他の番組もそのようなものが増えた気がします。
さて、お話がセイバーに戻りますが、
「物語の結末は俺が決める」の主人公に対して、「物語の結末は、各自でトライ&エラーを繰り返して探りなさい」と言いたげな語り手兼しおりが絡んできたら楽しいかも・・・と、他局の別番組をもとに妄想してしまいました。
ジオウは、語り手と主人公が創造主の権利を取り合って競う話のように見えて面白かったのですが、セイバーはどうなるかな?