滄海の果てで
昨日、n-bunaさんがXへこんなポストをしました。
曾經滄海難爲水
除卻巫山不是雲
──かつて滄海を経たれば水難しと為さず
巫山を除却すれば 是れ雲ならず
孟子曰、孔子登東山而小魯、登太山而小天下
故觀於海者難為水、遊於聖人之門者難為言
──孟子曰く、孔子東山に登りて魯を小とし、太山に登りて天下を小とす。
故に海を観し者には、水を為し難く、聖人の門に遊びし者には、言を為し難し。
この詩をリアルタイムで追っていた自分が、ヨルシカの楽曲として耳にすることになるとは……!
これはもはや偶然ではなく、必然の響きではないでしょうか。
実は、この詩に初めて出会ったのは『天官赐福』の中でした。
物語の中でこの詩が引用されていたのをきっかけに、意味を調べ、詩の背景を掘り下げていくうちに、その言葉の深さにすっかり魅了されていました。
そもそも、中国文学の詩や故事が織り交ぜられた物語に惹かれるタイプなので、昨年から『天官赐福』に夢中になり、原作小説の繁体字版を魔翻訳にかけながら読み進めているのですが......
これがまた詩句や成語の宝庫で、思わず頭を抱える場面もしばしば……。
それでも、詩を通じて物語の背景や人物の心情がより深く理解できる瞬間があり、そのたびに、言葉の奥行きと美しさに心を打たれるのです。
『离思』と「へび」
昨日、ヨルシカの新曲 「へび」 のMVがついに解禁されました。
元々、考察好きな自分は『天官赐福』を通じて、こんな言葉を大切にしています。
「今見えている情報だけで侮ってはいけません。
謝憐がよく、勝手に神格化してくれるなと言っていますが、その逆バージョンとも言えるかと。
見える情報だけで思い込んで決めきって相手を見てはいけません。」
また、『薬屋のひとりごと』に登場する猫猫の養父が言う、
「憶測で物を言っちゃいけないよ……」 という言葉も、自分の中で大切にしています。
詩も、本も、異人との出会いも、時に思考を揺さぶり、新たな視点を与えてくれるもの。
そして、今回のヨルシカ「へび」と、
元稹(㊐げん しん/㊥ユアン ジェン)の『离思』の繋がりもまた、学びのひとつでした。
『离思』とは?
『离思(㊐りし/㊥リーシー)』は、中唐の詩人・元稹 が詠んだ、愛する人との別れを描いた詩。
この詩は、情感豊かな表現が特徴で、以下の5つの詩で構成されています。
- 离思:愛する人との別れを嘆き、心の痛みを表現。
- 离思二首:愛の記憶が心に深く刻まれ、切なさが際立つ。
- 离思三首:孤独と寂寥が募り、過去の面影に心を寄せる。
- 离思四首(通称:离思五首):喪失の痛みが鋭く響き、愛の不変を歌う。︎☝︎この詩が『离思五首』と呼ばれる事が多いです。
- 离思五首:別れの果てに残る心の葛藤と、未来への微かな希望。
特に有名なのが 「离思四首(离思五首)」 であり、『天官赐福』にも引用されています。
この詩の核心は、「かつての愛を知ってしまったがゆえに、もう他では満たされない」 ということ。
この詩の世界観が、ヨルシカの「へび」にも色濃く反映されています。
元稹の詩における「海」や「雲」は、単なる風景ではなく、
それは「一度知ってしまったもの」への執着の象徴です。
そして、ヨルシカの「へび」もまた、
何かを知ってしまったがゆえに、それを求め続ける物語 となっています。
また、『离思』の詩の一節に、こんな表現があります。
「取次花叢懶回顧、半縁修道半縁君」
──次々に咲く花など振り返る気にもならない。
──半分は修行の身ゆえに、もう半分はあなたが心にいるから。
これは「他のものには目もくれず、ただ一つのものに心を捧げる」ことを表す詩句。
ヨルシカの「へび」と直接結びつくものではないかもしれませんが、「知ること」や「執着」のテーマを考える上で、示唆に富んだ一節ではないでしょうか。
最後に
詩も音楽も、時に人を遠くへ運んでくれるもの。
「离思」と「へび」が繋がるこの感覚――
これは、言葉と旋律が紡ぎ出す必然の響き なのかもしれません。
知ることの歓びと苦しみ、
愛することの美しさと切なさ。
どちらも、同じ原理のもとにあるのかもしれないと、そう思うのです。
さて、今日はどの本を開こうか。
ではまた、次の「引き寄せ」に期待して📖✨

