死に向き合うって | 蜂谷雅美のブログ

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辛いなぁ。。。

昨日のできごと。




母の付き添いで
夫と明治座の舞台を見に行く予定が
朝、母が来れないとのこと。


ご招待の舞台だったので、
私達だけで行くことに。
結構、いい席だった


母が来れない理由は
前日の夜に伯母が危篤状態になったから。


1年前に母は弟(私の叔父)を亡くし
その少し前に父(私の祖父)を亡くし
今回は姉(私の伯母)が脳出血


母の事も心配だったので
舞台を見た足で、そのまま実家へ。


一時 帰宅していた母を連れて病院へ。


いつも穏やかで優しいおばちゃんが
ベッドの上で苦しそうな呼吸でいる。

もう手の施しようがないそうで
ただ皆悲しみにくれていた。


おじちゃんが、一生懸命泣きながら
説明してくれて

「お母さん大事にしてな」と言う。


具合悪くなるまで普通だったし
病院来るまでも歩けていたらしい。

血圧下げる点滴をしたら
こういう状態になってしまったと。


医師の判断ミスなのか
どうしようもないことなのか
分からないけれど

さっきまで普通だったのにと思うと
やるせない気持ちになる。

まだ少し客観的な立場でいられたけど
おじさんや従兄弟や、母を見ていると
涙が止まらなくなった。


仮に母がそうなったら
耐えられないだろうと怖くなった。

親も歳を重ね、いつかそういう日が来ると
実感したら、逃げ出したいくらい怖くなった。



ちょうど叔母が具合が悪くなった時間に
夫が酷い頭痛と、手だけにじんましんが出て
原因が分からず困ったのだけど

どうやら伯母の知らせのようだった。

危篤状態でも左手が動いて、手を握れる。

2ヶ所の頭痛と、手だけのじんましんは
まさに。ビックリした。

伯母の手を握ったら、
頭痛もじんましんも何もなかったように。

介護施設のホーム長をしている夫は
数々の死に直面している。

誰かが亡くなりそうだと、急に熱が出たり
頭痛がしたりするそうだ。

見えない力ってあるんだなと思った。



死に向き合うって、死を考えるって
ため息と息苦しさしかない。

若くして亡くなった同級生もいるし

あーだこーだ、小さいことで悩んでる自分が
ちっちゃいな~と思う。


「生きてる」って、それだけで
充分、有り難く幸せなこと。