自己紹介はこちら。




元記事はこちら。


トーヴェ・ヤンソンの話 その1→

トーヴェ・ヤンソンの話 その2→



トーヴェとトーティ 世紀の恋‐トーヴェ・ヤンソンの人生と作品における同性愛のテーマ パート3


この同性愛がテーマのパート3、

かつファイナルパートでは、トーヴェ・ヤンソンと彼女のパートナーだったトゥーリッキ・ピエティラの美しい関係についてみていきます。


彼女から得たインスピレーションをトーヴェがどのようにムーミン作品のキャラクターに反映させたのかがわかるでしょう。


このシリーズのパート2で触れたような、ムーミンバレーにおけるふわふわとした、かつ多様な性的役割は、おそらくトーヴェ本人がプライベートでこれやあれとカテゴライズされるのを嫌ったことに起因するのかもしれません。


当時トーヴェは子供をもつことや1940~1950年代の典型的な若い女性の生き方を拒否しつつも、同性愛者としてのアイデンティティを完全に持ち合わせていたわけではありませんでした。


「私は真性レズビアンというわけではないのよ。」


このシリーズの第一回目で触れたヴィヴィカ・バンドラーに出会ったころ、トーヴェは議会議員でジャーナリストのアトス・ヴィルタネンと3年間交際していました。


エヴァ・コニコフへの手紙の中で、トーヴェは自身の性的嗜好について以下のように記しています。


「私は真性レズビアンというわけではないのよ。


ヴィヴィカ以上の女性はいないという確信はあるけれど、男性との関係性は変わらないわ。


もしかしたらよくなったかも。もっとシンプルで、ハッピーで、リラックスした感じになったわ。」


(1946年クリスマスの一週間前に書かれたエヴァ・コニコフへの手紙)


その後の数年間、トーヴェは公私ともに自分探しをしていたようです。


男性とも女性とも関係を持ち、絵を描くこととムーミンのお話を書くことの時間にバランスをとろうとしていたようです。


しかしその後版画家でアーティストのトゥーリッキ・ピエティラに1955年のクリスマスパーティで出会うと、生涯の恋だとすぐにわかるのです。


「水やりをやっとしてもらった庭のような気分よ。私の花がやっと花開くわ。」


トーヴェは1956年の夏にトゥーリッキへの手紙で書いています。


トゥーリッキ(あだ名はトーティ)は1958年のムーミン谷トゥーティッキという登場人物へのインスピレーションになりました。


賢くもの静かなキャラクターで、ムーミンたちが冬眠を続けようとしたとき、ずっと起きていたトゥーティッキは、彼らを未知の冬の世界に案内します。


トゥーティッキは冬の世界特有の動物についてムーミンたちに語ります。


ムーミン谷と実世界の相関関係を敢えて直接的に描かないことで、トーヴェがこの作品を書いた時分の、明るい日の下で同性愛者たちが自身をさらけ出すことはなかったことの寓話として、この部分の描写は興味深く読むことができます。


「夏や秋や春には居場所のないものがたくさんあるんだよ。


少し恥ずかしがりでちょっぴり風変りなもの全部だよ。


夜行性動物や人間にも周りとなじめなくて、誰のことも本当には信用していない人や動物がいるんだ。


一年中周りとの関わりをもたないようにしているけれど、


全てが静かで白くて、夜が長くてほとんどの人が寝ているとき、こっそりと出てくるんだ。

(1958年 ムーミン谷の冬より)


トーヴェ自身は、ムーミン谷の冬で描いた寒く異質の世界のことを、ムーミンビジネスにおける商業面の寓話だと話しています。


ムーミンが1950年代に、もっとファンを得るにはどうしていったらいいかを、学ばなければならなかったからです。


トゥーリッキはトーヴェの大きな支えとなってくれました。


まるでムーミンのお話に出てくるトゥーティッキのように、彼女の仕事を管理し、道筋を与えてくれたのです。


トーヴェはトゥーリッキがいなかったらムーミン谷の冬を書いているときに経験したスランプに打ち勝てなかっただろう、とすら後に言っています。


「魔法にかかったように愛している」


トゥーリッキの中に、トーヴェは彼女自身と同様、旅人、探索者、自由を愛する人を見出しました。


同じくらい大事なのは、彼女の人生の根幹にある作品と芸術性を理解し、尊重してくれたことです


それまで何年もアイデンティティを探し求めていたトーヴェは、トゥーリッキの中に心の平和を見出したのかもしれません。


「まるで魔法にかかったように愛しているし、とても冷静でもいられている。今後私たちの前に立ちはだかるであろう障害も怖くない。」


1956年にトーヴェはそう書いています。

 

彼女は自身が「とうとうゴースト側へとたどり着いた」と表現したように、変化した女性でした。


ゴーストとは当時レズビアンのことという共通認識がありました。


トーヴェとトゥーリッキは生涯のパートナーとなりました。

ヘルシンキで、そして人里離れたフィンランド湾のクロヴハル島で、45年一緒に暮らしました。

このサイトの冒頭の写真はそこで撮影されたものです。


トーヴェは自分たちに似たカップルを彼女の晩年の作品で書いています。


それは1989年の「フェアプレイ(Rent spel)」です。


ヨンナとマリという二人の70代の高齢な女性が描かれます。

二人はトゥーリッキとトーヴェと同様、何十年も屋根裏の廊下で区切られている隣同士のアトリエで一緒に暮らしています。

一人はアーティストでもう一人はアーティスト兼作家で、一緒に仕事をしたり世界中を旅行したりしています。


フェアプレイはレズビアン夫婦の生涯を描いています。

そこには日々の同性愛への祝福があり、性的嗜好は隠されたりやり玉にあげられたりする必要のないものとして存在しています。


この本はSETA(LGBTIの権利を守るフィンランドの機構)に表彰されています。


フェアプレイにおける同性愛の表現はトーヴェのそれ以前の短編作品と比べてもずっと肯定的に語られています。


例えばフェアプレイの10年前に書かれた「自然における芸術」という作品との違いは顕著です。

 


同性愛者が主人公の短編の一つに「壮大な旅」という作品があります。


若い女性のローサはパートナーのエレナと、彼女を拘束し依存心の高い母親との板挟みになります。


二人ともローサとの大旅行に行きたがります。


ローサの母親はローサとエレナの恋愛関係を認めたくない節があります。


三角関係のドラマは、控えめな攻勢と押し殺した感情のせめぎ合いの緊張感があります。


トーヴェの後年のフィクションに見られる同性愛者の関係について論文を書いたバーブロ・K・グスタフソンは、


トーヴェの後年の散文に見られる同性愛の描写が前向きになっていったことと、


社会における同性愛に対する姿勢が年々好意的になっていったところに相関関係を見出しています。


トーヴェは同性愛活動家では決してなかったのですが、


大胆な芸術や勇気ある人生の選択を通し、


彼女は世界中の同性愛者にインスピレーションを与える存在であったことは確かです。



〜〜〜

やっと生涯のパートナーに出会えましたね!

愛に包まれ、幸せな人生だったのでしょうね。




ムーミン関連の記事


まるでムーミンの世界!のムーミンマグデザイナー自宅→


ムーミンの生みの親、トーベ・ヤンソンの姪っ子が想うこと→


素敵なお家シリーズ

蚤の市で集めたお気に入りがつまった家→

ネッタのお金をかけないレトロな部屋づくり→