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大富豪とのたった一度のランチで人生が変わった男

元記事↓

フィンランドの片田舎のルオホラハティから世界に羽ばたいたサミ・インキネンの話です。今や地元の有名人となったサミは、講演をしに母校へとやってきました。

質疑応答の時間には当然、この質問も飛び出します。
「お金はどのくらい持っているのですか?」
サミは紳士的に答えます。
「食べるもの、住むもの、アメリカから帰省するのに困らないくらいですよ。」
それでもひょんなやりとりから、彼の豊かさが伝わってきます。

「自分がいくら持っているか、よくわからないんです。お金の管理は会社に任せているから。」

サミはルオホラハティの小さな学校で義務教育を受け、地元の高校からヘルシンキの大学へ進学し、17年前に渡米しました。その後友人と不動産業のTruliaを立ち上げ、会社をどんどん大きくしました。

2014年、Truliaは350万ドルで売却されました。
現在サミは2型糖尿病専門のオンライン療養を行う会社を経営しています。

じゃがいも畑で育った億万長者

サミは1975年にイマトラ近くの田舎町のルオホラハティ(訳注 ヘルシンキから東へ300km)で生まれました。

フィンランドの地方出身者の例に漏れず、彼も小さいときからじゃがいも畑の作業を手伝い、学校へはスキーで通い、冬越し用の薪割りのお手伝いをして育ちました。当時は親を恨んだものですが、今は感謝しているとサミは言います。

「私は生来怠け者なタイプです。でも両親が忙しかったため、手伝いをたくさんさせられました。小さい頃から仕事を覚えることができたのは幸運だったと思います。」

両親は中卒で、製紙メーカーに勤務していました。
「世界征服なんて夢にも思わない環境でした。残念だったのは子供の頃、そういった手本が身近にいなかったことです。」
若者は何か壮大で有意義なことを追求したいと渇望していました。

サミが高校に進学したのはほんの偶然でした。(訳注 大学に行って学位を目指す人だけが高校に進学する。それ以外の人は専門学校に進学)まだ将来なりたいものがわからなかったため、3年間考えようと思ったのです。

そんなサミの才能に物理の先生が気づきます。「きみは数学が得意だね。将来医者やエンジニアを目指してみたらどうかな。」

その一言がきっかけでサミはヘルシンキ工科大学(現 アールト大学)の物理学科へ進学しました。そこには見本となる人たちの出会いが多くありました。

「当時のノキアの社長のヨルマ・オッリラが同じ大学、学科出身でした。とても気になる存在でしたね。」とサミは言います。

卒業後、サミはそのノキアに入社します。しかし、ITのより大きな環境に羽ばたいてみたいという思いが常にありました。夢はアメリカのシリコンバレーでした。

「アイスホッケー選手がNHLを目指すようなものです。シリコンバレーは私にとってそういう場所なのです」

よりよいコーチや、厳しい投資家や激しい競争を彼は求めていました。

「子供の頃、ヒャッリス・ハルキモ(訳注 年齢は少し上だがフィンランドのホリエモン的存在)はすごい人だなと思って見ていました。打たれても打たれてもへこたれないで前進あるのみですから」

渡米の夢は2003年に叶いました。スタンフォード大学に合格、留学できることになったのです。ルオホラハティから来た田舎の青年の目には、アメリカのすべてのものが魅惑的にうつりました。

「最初はすべてがハリウッド映画の中の世界のように見えて、本物の場所なのだろうかと思いました。ヤシの木が風にそよいでいて、何もかもとてもよく見えました。」

彼の人生がガラリと変わったのはそれから間もなくのことでした。

運命のランチ

スタンフォードに来て、ほんの二週間の頃、幸運な偶然がありました。ジェフ・ベゾスとランチを共にすることになったのです。

ベゾスはあのアマゾンの創立者です。おそらく世界一の富豪でしょう。

「ランチの間、ジェフはつまらない冗談を言ってはゲラゲラ笑っていました。」

サミはそんなリラックスした様子のベゾスの話を聞き、観察しました。そして世界有数の成功者、富豪たちも実際は一般人と何ら変わらないのだという事実に気づきました。

この冗談ばかり言ってるおじさんがこんなにすごいことを成し遂げて世界を変えられるのなら、自分にだってできる!」

とインキネンは思いました。


ジェフ・ベゾスのカリスマと才能が彼に乗り移ったかのようでした。


「それは信じられない感覚でした。純粋なインスピレーションや感覚を通じて能力が目覚め、挑戦欲が湧いてきたのです。

そのランチは私の思考を大きく変えました。」

とインキネンは言います。


不動産業へ進出


インキネンはそれからまもなくして本当に事業を設立しました。2004年、スタンフォード大学の友人と不動産サービスの会社トゥルリアを設立したのです。しかし彼ら二人の科学者にビジネスの素地は全くありませんでした


当時すでにインターネットで車を買ったりパートナーを見つけたりと、できることが広がってはいましたが、固定客のつくほど強固な不動産サービスというのはアメリカにまだなかったのです。」


二人はいずれすべてのことをインターネットで済ませる時代が来ると考えていました。不動産業においてもそれは例外ではないはずでした。しかしトゥルリアはゼロからの構築となったため、まるでトランプでタワーを積むような危険を伴いました。


常に戦闘態勢でどんな小さなことも見逃さないようにする必要がありました。そのトランプタワーはいつ倒れてもおかしくないくらい、危なっかしかったのです。」


インキネンが友人とたった二人で起業したトゥルリアは成功し、投資家の興味をひくようになりました。会社買収のオファーが山ほどくるようになりましたが、売却する気は二人にはありませんでした。代わりに二人はトゥルリアをよりよい企業にすることに注力しました。


2012年、トゥルリアはニューヨークの株式市場に上場するまでになりました。そしてその二年後、とうとうトゥルリアは350万ドルで競合のZillowに売却されました。


「最初のオファーより20−30倍の値段で売ることができました。最初のオファーに飛びつかなくてよかったです。」とインキネンは言います。


トゥルリアの売却後、インキネンは無職になりました。

それからまもなくして、運命のいたずらがインキネンに襲いかかるのです。


糖尿病


インキネンは糖尿病が生死に関わる病であることや、肥満や運動不足の人がかかる病気だと知っていました。彼自身は自身の健康に常に気を配り、トライアスロンをして健康管理を行っていました。世界大会でも通用するほど、体を鍛えていたのです。


トゥルリアが上場した年、インキネンは自身が糖尿病予備軍と知り、絶望します。なぜ自分が?運動も週に10時間してきたし、食べすぎないよう、体重制限も行ってきたはずなのに。


トゥルリアが売却されるとインキネンの新しいビジネスへのアイデアが芽吹き始めました。今度は自身の経験、そして自身の思い違いと真実への気付きに根付くものでした。


「自分の信条と違うものを目にしても、人は信じないし変わらないものです。でも、自身が身を持って経験すると、人はいとも簡単に変わるものです。


インキネンはこの経験からヴィルタ・ヘルスという名前の会社を立ち上げ、糖尿病患者を支援することにしました。世界中に糖尿病患者は4億人はくだらないと言われています。そのため顧客探しに困ることはありませんでした。


ヴィルタ・ヘルスはインターネット上の医療ステーションです。月額を払うことで、顧客は診療、アドバイス、病気の進行結果を受け取ることができます。


ヴィルタ・ヘルスは現在、9300万ドルの運転資金を所有するまでに成長しました。


「糖尿病の悪化で人が亡くなったり、手足切断の犠牲者が出なければいいなと思っています。またこのサービスに入ることで、糖尿病患者が国民保険や保険会社などの資金負担が減ればよいなと思っています。」


インキネンは実家の台所でも冷蔵庫の中身を視覚化しています。
「ヨーグルトの糖分、シリアルの糖分、ケチャップの糖分、などなど実家には伝えています。砂糖の消費はできるだけゼロにした方がよいですから。」



カリフォルニアでの生活


ルオコラハティから飛び出したインキネンは、カリフォルニアで百万長者となり、現在は幸せな生活を送っています。


そんな今となってはつらかった子供時代が今の人生に良い影響を及ぼしていると感じています。


「私の人生は常に『足るを知る』でした。今となってはこれこそが幸せな人生の秘訣ではないかと思うのです。」


フィンランドに帰省するときには、インキネンはフィンランドの純粋な自然を満喫し、フィンランドの教育システムを称賛し、起業精神が尊重されていることに満足しています。


「起業者がどんどん生まれて普通の人が英雄になるべきです。英雄になれるのはアイスホッケー選手だけではありません。」


自身の成功から、インキネンには起業において何が必要とされるのかがはっきり見えています。


「何を誰のためにするのか理解することが何よりも一番大事です。マッサージ師でも、美容師でも、SEでも何でも同じです。起業において最も心血を注ぐべきことは、他のどんな人を助けられるかを考えることです。」



もしあなたに起業の道が開けるとしたら、そこに必要なのは本物の情熱です。


「その物事やテーマに惚れこむとよいです。そうでないとその後の旅路が厳しくなります。」


カリフォルニアの自宅で、インキネンは妻と二人の娘と暮らしています。娘は2歳と4歳になります。


十代の頃インキネンはお小遣いで食べるものを買えたらいいのにと夢見ていました。当時はじゃがいも畑で泥だらけになる日々だったからです。


「今、私は畑を所有しています。これは最高に贅沢な投資なのです。なんと言っても自分の畑から果物や食物が育つのですから。

妻や娘たちは今泥だらけになって遊んでいるところですよ。」とインキネンは笑います。



〜〜〜
たぶんインキネンさんのガッツは類稀なるものなのだろうと思います。
でも、田舎出身で日本育ちの日本人は、どれだけ優秀でも留学経験がなければ、渡米後二週間でジェフ・ベゾスとランチをして話にはのれないのでは?と思いました。
そこできちんと英語が駆使できたのはフィンランドの教育の賜物だなあと思いました。
フィンランド語話者が少ないために、学位や修士をとるために英語の文献を読まざるを得ず、それは結果としてグローバルに活躍できる人材を育成できてるんだろうなあと思います。それは最終的にフィンランドの国力の底力につながっていると思います。
日本人は話者が多くて文献も豊富でラッキーだけれど、がんばらないと外国語はなかなか見につかず、日本での大変な競争で勝ち抜いていくしかないわけで、海外に出た方が競争は楽なのでは??とも思いました。