あきらめた からこそ

明らかに 認めた からこそ

『今この瞬間』に在る 有り難みに氣づき

「小さな幸せ」をたくさん、

味わえる(感謝出来る)ようになった わたし。



そんなわたしには 常に

「幸」も「不幸」も ”同時に存在” している



昨日の銀婚式もせやけど

”わたしが創造しなければ”

特別(非日常的)な事は 何も起こらずに 平々凡々と

その日一日も 流れていくわけで


特別に お祝い するも しないも

すべては わたし次第



母から、とか
ダンナちゃんから、とか

サプライズ的にお祝いしてもらえる事なんて

当たり前(自然必然)に無いからね


2人とも、

記憶出来ないのが自然(当たり前)やから。



事故に遭う前みたいに

バイクや車に わたしを乗せて

わたしの知らない豊かな世界へ連れて行ってくれる

なんて喜びも

いとも簡単に 奪われたわけやし


わたしが 誤った事をしたら

きちんと叱ってくれる

そんなダンナちゃんも

当たり前(必然)に 失われたわけやし


何よりも


ただでさえ 事故の後遺症(脳の障害)で

何事にも 発動性(やる氣)が失くなっているところへ

ダンナちゃんにとっては

一番に大好きやった
バイクに乗れなくなったことにより

”生きる喜び” を奪われたわけで


せやから、今も


何から何まで わたしが見守り、声かけをしないと

自力(単独)で行動を起こす事は、

ほぼ出来やんし。



今一度 観た からかな


「幸」も「不幸」も 常に 同時に 味わう 日常

そんな日常の中に在りながらも

「行って来ます」
「行ってらっしゃい」

毎日 始まる 人々の生活が
どうぞ一日でも長く続きますようにと

胸の奥がギューっと痛くなるくらいに、切に想い

じぶんにしか出来ない志事を勤め上げていく心



この心の痛み、切なさ、諸行無常

どれだけの人が

体感出来ているのだろうか、と


(まるで 責めるかのように)

強い想いが
 ”沸き起こる” (”噴火”しそうになる)時がある



こんな風に 胸の奥から

グツグツと煮え滾っている想い(マグマ)が
溢れ(暴れ)出しそうになる時、わたしは

この深い悲しみ(意之血)を

うちの肚の底から ”湧き起こる”
『勇氣(情熱)のパワー』へと変換して

新たな(次なる)志事へと、向かっていく。












外側に在る
夫婦生活(パートナーシップ)で
モヤモヤしている人たちの
悩み(文句・苦情)を観ていると

頗る贅沢な悩み
(有り難さに氣づいていない)
やなーって


どうか そんな贅沢な悩みを味わうことの出来る
ほんまもんの豊かさに氣づいて

感謝して生きていってくれたらなーって

切に感じる(マジで想う)よ





喧嘩する事が出来るって

”素晴らしい奇跡” なんだからさ