↑のつづき。

さてさて、イザナギとイザナミの両神は新しい国造りに励みます。


縄文時代後期の子供の教育には、「アワ歌」が用いられていた。


●地のアワ歌

アカハナマ
イキヒニミウク
フヌムエケ
ヘネメオコホノ
モトロソヨ
ヲテレセエツル
スユンチリ
シヰタラサヤワ


アで始まりワで終わるこの歌を歌うと、発声や発音が良くなり、身体も良く動き、頭脳も発達するのだそうな。

四十八音の一つ一つに神が宿るこのアワ歌は、言語教育とともに、天地自然の神を敬う教育も同時におこなえた。

『地』のアワ歌を携えて、両神は全国を巡る。

ヤマトアキツス(本州)を手始めに、
淡路島
伊予阿波二名(四国)
隠岐三ツ子(隠岐諸島)
筑紫(九州)
吉備の子(瀬戸内の島々)
佐渡
ウシマ(大島、北海道説あり)


争いの絶えなかった地方も治め、両神は国民からも信頼されるようになった。

新たな統治国家が出来上がり、
両神は
『ハラミの宮(山梨県の酒折宮、当時の富士山山麗)』
に腰を下ろした。


山梨県甲府市の酒折宮と言えば、
ヤマトタケルが筑波から十日間かけて
たどり着いた話が有名だが、
イサナギイザナミの両神もまた、
住居を筑波から酒折宮に移している。

この奇妙な一致は一体…


ヤマトタケルは、本当に征服者だったのだろうか。

仕事のついでに神話の研究してたりして(笑)

出張の合間に神社を巡るワタシも同じようなもんかな🤣



酒折宮は山梨県で唯一、記紀に記述がある神社。
ヤマトタケルがこの地に赴いた時には、
すでに存在していたほど古い歴史がある。

当社は元々、現在の笛吹市にある
御室山の中腹に鎮座していたとも言われている。

祭神はヤマトタケルだが、元々は別の神様が祀られていたのかもしれない。



さて、ハラミの宮に住居を移した両神は、
国の平和を維持する為に優秀な跡継ぎを
産まなければなりませんでした。


両神がハラミの宮に落ち着く前、国の平定に尽力を注いでいた頃、イザナミの父『トヨケ大神(豊受)』は、すでに次代のことも視野に入れていた。

両神に優秀な跡継ぎが産まれるようにフトマニで占い、ヨツギヤシロに籠り、天御祖神に祈りを捧げ、なんと8千回もの禊を誓い、実行していた。

すると、天御祖神の眼に日と月の光が差し込み、それを取り巻く神々が微笑んでいるのが見えたという。




一方、イサナギイザナミの両神はハラミ山に登り、世継ぎの誕生を願い、富士の湧水で左目を洗って日の御霊(みたま)に祈り、右目を洗って月の精に祈った。
※古事記でイザナギが三貴子を産むシーンを彷彿させる。


そして、ついにイサナミは懐妊した。
イサナギにその事を告げると、イサナギはにっこり微笑んだ。



両神が感謝の祈りを捧げると、
眩い光が一面に広がり、日輪のように落ち止まったように見えたのだそうな。


日嗣の御子『アマテル(天照)』の誕生である。



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