所有欲に縛られると、やりたいことができない
若い頃から、僕にはほとんど所有欲がない。
「自分の成功を象徴する」ような実体物を、ひとつも持ちたくない。
唯一と言える所有欲は、スマホぐらいだ。仕事や遊びに、いまのところ最も役立つからだ。
けれど、もしスマホ以上に、僕のいまの暮らしを最適化させてくれるツールが出現したら、スマホも秒で捨ててしまうだろう。
堀江さんは、いま何が欲しいですか?
インタビューで、うんざりするほど聞かれてきた。
答えたひとつ。「ないです」、
話は終わり。
そもそも、スペースを取られるものを、なぜみんな欲しがるのだろう。持つことによる喜びや安心は、果たして本物なのか?
所有欲は、状況によれば行動のモチベーションにもなるだろう。でも所有欲が、人を幸せにすることはない。あるとしても一瞬だ。
所有しなくても自分を豊かにしてくれるいろんなものを見つけて、いまはもっと楽しく暮らしている。
いままで持っていなかったものを努力して持てたとき、その瞬間は満たされる。しかし、勘違いしてはいけない。それは「獲得」の喜びであって、「所有」とは違うものだ。
いま大事にしているもので、少しでも重さが気になれば、思いきって捨てよう! そうすれば、新たな行動の意欲を得られるはずだ。
モノにこだわったり、捨てられないのは、欲しいモノが明確ではないからだ。大して欲しくもないモノに囲まれていることで、欲しいモノをわかっていない自分の不充足感から、逃げている。モノをたくさん持ち、偽物の安心を得ていると言える。
欲しいモノがはっきりしていれば、何だって捨てられる。チャック・パラニュークの小説『ファイト・クラブ』の一節に、こう書いてある。
「欲しいものがわからないと、本当には欲しくないものに包囲されて暮らすことになる」「すべてを失ったとき初めて、自由が手に入る」
僕は、モノの呪縛を解いて、動き続ける。安定じゃなく、刺激あふれる世界にいたいからだ。
あなたにだって、できる。迷わず「捨てる」生き方は、決して難しくない。何が欲しいのか? 明確にできれば、自分という概念を、どこまでも遠くへ飛ばせるのだ。