こちらの記事に共感しました。
「精神がダメになっている人を救いたい」と思ったときは、自分の精神がダメになっている可能性が高い。他人を救おうとするのは、自分が救われていないからなんだよな。当然だけど、自分すらも救えてない人に他人は救えない。救いというものは、救う側に「救う意識」がないものなんだよ。なぜなら、継続… pic.twitter.com/h4jsMANda4
— プロ奢ラレヤー🍣 (@taichinakaj) 2023年11月13日
「精神がダメになっている人を救いたい」と思ったときは、自分の精神がダメになっている可能性が高い。
他人を救おうとするのは、自分が救われていないからなんだよな。
当然だけど、自分すらも救えてない人に他人は救えない。
救いというものは、救う側に「救う意識」がないものなんだよ。
つまり、「ひとの助けになること」を継続し続けるには、
「それを頑張ってやる意識くらい」では出来ないことだから。
息を吸って吐くかのように、
無意識レベルで行えていないと、
その行為でひとを救うことはできない。
見返りを求めてしまうから。
固定ツイに書いたけど、ひとに「優しくし続ける」というのは、奢りなんだよ。
そうではなくて、「優しくある」ように努めることしかできないんだ。
悲しいけどね。
いやあ、相変わらず本質的なことをズバッと言い当ててくれますね。
プロは違いますね。
さすがです。
人が人を救えるなんて思うだけでも罪なのかもしれません。
ある意味人が人を救うのではなく、人は勝手に救われるだけなのかもしれません。
誰かとの何かとの出合いによって。
それくらいに思っていたほうがいいのかも。