藤原氏の勢力を紐解 く時に、京都の平安京ではなく、奈良の平城京だったなんて、そして藤原不比等が平城京を作った事でその後の藤原氏の勢力権力が強大になっていったみたいだな、だから大河ドラマの藤原兼家の権力を手に入れようと暗躍していた姿は、間違いでもなかったのかもしれないな、この藤原不比等をみていると後の世に藤原兼家が生まれても納得がいくな、藤原不比等はあの中臣鎌足の息子というのも驚いたな、藤原不比等は平城京を作る時に右上に出っ歯りを作って、少し高い所にあの興福寺を作ったみたいだな、少し高くして頭一つ抜け出す事で権力を誇示していたんだろうな、興福寺の見方も少し変わってしまうな、そして天皇が住んでいた中央の平城宮に大河ドラマでも出てくる東宮があって、皇子がその東宮に滞在してるけど、何と藤原不比等の邸宅がその東宮とつながるように横にあったなんて、そして大河ドラマでもやってたけど、藤原氏の血を継ぐ者をいずれは帝にしようと東宮の隣に藤原不比等の邸宅があったなんて、藤原不比等の策略のようなものも感じるな、だから大河ドラマに出てきた藤原兼家も権力が大事と暗躍したんだろうな、藤原不比等の後の藤原仲麻呂という人も橘氏の勢力を抑えようと、関所を作って橘氏が自由に行き来できないようにしたり暗躍していたみたいだからな、藤原不比等にして藤原兼家有りて感じがするな😐