息子は今、高校3年生です。

小学生の頃、発達障害と言われ、知的水準もグレーゾーンでした。

支援の学習塾の先生からは厳しい現実を伝えられました。

自立は無理だろう、将来は施設のお世話になるのだろう、障害手帳を持って生きていくのだろう。私はそう思っていました。

 

疑問を持ったきっかけ

見方が変わったきっかけは、コロナ騒動でした。息子が小学校6年のときです。

もともと歴史や経済については、何が本当なのかという目で見ていました。

でも医療そのものを疑ったことは、病院に勤めていながら一度もありませんでした。

なぜ病気や障害が増え続けるのだろう。

そう思ったとき、「先天的だから仕方ない」で止まっていた自分に気づきました。

原因があるなら、そこに手を打てるかもしれない。そこで初めて希望が生まれたのです。

わが子のことですから、本もネットも必死に調べました。

食べ物や生活環境の影響について、いろいろな見方があることを知りました。

 

できることは片っ端から

ある先生にたどり着いて検査を受けると、重金属の数値が非常に高いこと、腸で栄養がうまく吸収できていないこと、感覚が統合されていないことがわかりました。

そこから、栄養の補充、食べ物の見直し、解毒、腸内環境、体幹のトレーニング、マッサージ。

調べては試す日々でした。

 

「野球をやりたい」

中学に上がるとき、息子が野球をやりたいと言い出しました。

体は硬く、協調運動ができずフニャフニャした動き。空間認識も難しい。ルールも覚えられないだろう。

球技など到底無理だと思いました。

私は反対しました。

それでもどうしてもやりたいと言うので、やらせることにしました。

3年間、当然のように補欠です。

それでも本人は野球が本当に好きでした。

ある高校のオープンスクールで野球部を見学し、監督さんとお話しする機会がありました。そして、その高校で野球を続けられることになったのです。

妻も、中学の顧問の先生も、みんな驚きました(笑)

中学を振り返ると、骨と皮の鶏ガラのような体に弾力のある筋肉がつき、社会性、コミュニケーション能力、運動能力、ずいぶん向上したなと思い、私も高校での成長を楽しみにするようになりました。

 

一番伸びたのは、そこから

ところが2年の初めに、「辞めたい」と言うようになりました。

技術の差も明らかですが、チームメイトの元気さに気後れしていたかなとも思います。

話し合って、マネージャーとして残ることになりました。

振り返ると、一番伸びたのはそこからでした。

明るくなったとみんなに言われ、社会性も自主性も伸びました。

テスト勉強の様子まで変わり、点が取れるようになりました。

複雑なスコアブックも、きれいに書いています。中学の頃だったら、とてもできなかったことです。

そして私自身も変わりました。

それまでは、社会の枠に何とか当てはめなければと必死で、厳しくしてきました。

そして私自身もそうやって苦しんできたことにも気づきました。

この子には、この子の人生がある。

心からそう思えるようになってから、息子の行動も変わっていった気がします。

 

最後の夏

この7月、最後の夏の大会。

息子はマネージャーとしてベンチにいました。

大会前には、部員全員に配るキーホルダーを親子でつくりました。

真っ青な空とまぶしい太陽。

一投一打に歓声がわく球場。

グラウンドで躍動する選手たちと大きな声。

ベンチでは選手たちが何度も何度もハイタッチ。

その中に、わが子が一緒にいる。

それを見ているだけで、ありがたい気持ちでいっぱいになりました。

施設に、と思っていたあの頃から考えると、夢のような光景でした。

1勝を挙げ校歌を歌いました。

次の試合で強豪校に接戦で敗れましたが、本当にいい試合でした。

わが子は、たくさんのことを教えてくれました。

わが子の成長は、私の成長でもありました。

 

監督さん、先生方、チームメイトのみんな、保護者の皆さん。

これまで息子の成長に関わっていただいたすべての皆さん。

いつも息子に寄り添ってくれた妻。

 

すべての方に、感謝申し上げます。

本当に、ありがとうございました。