⚠️このシリーズは若干ホラー要素を含みます







眠れない部屋


 寝るのが、少し怖くなったのは、三日前からだった。
 きっかけは単純な夢だった。
 何もない白い部屋に、ただ椅子がひとつ置かれている。
 自分はその椅子に座っている。
 それだけの夢。けれど、どうしてか強烈に胸に残った。


 次の夜も、同じ夢を見た。
 また白い部屋。
 また同じ椅子。
 そして、自分がそこに座っている。
 ただ、二度目の夢では、壁に“ひび”が入っていた。

 三度目の夜、夢の中でひびが広がっていた。
 今度は天井まで伸びて、そこから「何かが覗いて」いた。
 人の目のようでもあり、鏡の中の自分のようでもあった。
 目が合った瞬間、胸の奥がきゅっと縮む。
 その痛みで目が覚めた。時計を見ると、午前2時44分。
 部屋は真っ暗で、外の街灯の光だけがカーテンの隙間から漏れていた。

 冷たい汗を拭いながら、ふと思った。
 あの白い部屋は、どこかで見た気がする。


 次の日、仕事帰りにコンビニへ寄った。
 ふと店の奥のポスターが目に入る。
《市営住宅新棟完成、入居者募集中》
 白い壁、木の椅子、窓から射す光。
 夢で見た部屋と、まったく同じ構図だった。

 ぞっとした。
 まるで夢が、現実の一部を先に見せていたようだった。


 その夜、眠る前にコーヒーを二杯飲んだ。
 眠らないようにしていたが、気がつくと目の前にはあの白い部屋があった。
 まただ。
 逃げようと思った瞬間、背後で「ガタン」と音がした。

 振り返ると、ドアがあった。
 初めて気づいた。これまでの夢には、ドアなんてなかった。
 そのドアの向こうから、誰かがノックしていた。


 コン、コン、コン。


 ゆっくりと、間をあけて三回。

「……誰?」
 声を出したが、自分の声が壁に吸い込まれていくようだった。
 もう一度、ノック。


 コン、コン、コン。


 音のリズムが、まるで自分の心臓と重なっていた。

 恐る恐るドアに近づくと、ドアノブの下に小さな紙片が落ちていた。
 拾い上げると、そこにはこう書かれていた。


『また、来たね。』


 読んだ瞬間、視界が暗転した。
 次に目を開けたとき、自分はベッドの上にいた。
 息が荒い。手のひらが冷たく濡れている。
 夢……だったのか?

 けれど、床に何かが落ちていた。
 白い紙。夢の中で拾ったはずの、あの紙片。
 そこには新しい文字が増えていた。


『今夜も、来てくれる?』


 ぞっとして、紙を丸めてゴミ箱に捨てた。


 でも、その夜も眠ってしまった。

 夢の中で、またあの白い部屋に立っていた。
 今度は椅子の前に、もうひとりの自分がいた。
 彼は座っていて、ゆっくりと顔を上げた。

「やっと来たね」

 その声は、自分の声だった。
 立っている自分が動けないうちに、座っている“もう一人”が言った。

「ここにいれば、もう痛くないんだ」
「……痛くない?」
「現実は苦しいでしょう? でもここなら、何も失わない」

 白い壁がじわりと滲んで、まるで水の中のように揺れた。
 その中に、街の風景や会社のデスク、通勤電車がぼんやり浮かんでいた。
 あの現実の全てが、夢の外に溶けていくようだった。

 座っている自分が、手を伸ばした。
 触れたら終わる。
 そう思ったのに、体が動かない。

「こっちに来れば、もう目を覚まさなくていい」

 指先が触れた瞬間、痛みが走った。
 喉の奥から叫びが漏れた。
 その叫びで、目が覚めた。


 朝。
 陽が差し込むカーテンの隙間。
 夢から抜け出した、と思った。
 けれど、机の上に見覚えのない椅子の写真が置かれていた。
 白い椅子。
 あの夢の中の椅子だった。

 裏面には、黒いペンで一行。

『また、夢の中で会おう。』