最終決戦:創世の輝き


『ならば、その意思ごと消え去るがいい』
 アビスが手をかざすと、空間全体が黒い津波となって二人に襲いかかった。
 触れるものすべての存在を消去する「無の奔流」。
「ハァァァァッ!!」
 レオンは聖剣を振り上げ、五合の晶片の力を一気に解放した。
【大地の剛健】【氷の静寂】【海の流転】【風の自由】【雷の裁定】。
 五つの属性が魔法陣を形成し、漆黒の奔流を正面から押し返す。
 その隙を突き、サラが跳躍した。
「これが、私の……私たちの全力よ!!」
 放たれた一撃は、もはや矢ではなかった。それは希望を形にした光の槍となり、アビスの「虚無の瞳」を貫いた。
『ヌォォォォ……ッ!!』
 アビスが悶絶し、一瞬だけその輪郭が霧散する。
「今だ、レオン!!」
 レオンは、かつて師ガイウスから受け継いだ型、そして旅で出会ったすべての生命の想いを、最後の一撃に込めた。
 彼はアビスへと肉薄し、背後に囚われていた【第六:魂】と【第七:無】の晶片を、その手で掴み取った。
「すべてを……繋ぎ合わせる!!」
 七つの晶片がレオンの手中で揃った瞬間、それらは激しく共鳴し、レオンを眩いばかりの紅い光の繭で包み込んだ。
【大地】【氷】【海】【風】【雷】【魂】【無】。
 七つの理が、一人の英雄の意思を依り代として、真の再統合を果たす。
 レオンの身体は、純白の神衣を纏い、背中には翡翠色の結晶の翼が広がった。
 その手にあるフェルシオンは、もはや剣の形を越え、万物を再編する『創世の杖』へと進化を遂げていた。
「アビス……お前の言う通り、世界は一度砕けた。だが、それは終わりのためじゃない。より強く、より深く結びつくための試練だったんだ!」
 レオンが杖を天に掲げると、ヴォイド・コアの暗黒を払う絶大な紅の光が炸裂した。
 それは破壊の光ではない。
 万物に再び「定義」と「温もり」を与える再生の光だった。
『……よかろう……。汝らの意思が、この虚無を凌駕するというのなら……見せるがいい。再編された……新たな世界の……姿を……』
 アビスは穏やかな言葉を残し、雪解けのように光の中へと消えていった。


虚無の境界線


 機械帝都の黒煙を払い、五つの理をひとつに束ねたレオンとサラは、ついに世界の最果てにして、すべての因果が逆転する特異点『ヴォイド・コア(世界の歪み)』へと足を踏み入れていた。
 そこは、もはやアルカディアの物理法則すら通用しない、異様な光景の連続だった。
 空には上下が逆転した大地が浮かび、重力は気まぐれにその方向を変える。
 極彩色の星雲のような魔力が渦巻く一方で、足元からは色が、音が、そして「存在の重み」そのものが静かに削り取られていく。
「……ここが、世界の終わり。すべての虚無が生まれる場所なのね」
 サラの声が微かに震える。
 五つの晶片の加護を受けた彼女の魔導弩でさえ、この絶対的な無の中では、その輪郭が揺らいで見えた。
 レオンは無言のまま、胸元で太陽のごとき輝きを放つ五合の宝珠を握りしめていた。
 その光の矢は、もはや特定の方向を指してはいない。
 中心にある「虚空」そのものが敵であると告げているのだ。
「行こう、サラ。あそこで待っている『元凶』を討ち、最後の二つを取り戻す」
 二人が歪んだ空間の最奥、無色透明なクリスタルの大地が広がる中心部へたどり着いた時、その「存在」は現れた。
 人の形を模しながらも、その輪郭は漆黒の霧で形作られ、顔の部分にはただ一つ、虚無を映す巨大な瞳がある。
 それこそが、数万年の周期で世界を「無」へと回帰させようとする調和の敵——『終焉の化身・アビス』であった。
 アビスの背後には、最後の二つの破片……眩い白光を放つ【第六の晶片・魂】と、底知れぬ闇を湛えた【第七の晶片・無】が、拘束されるように浮かんでいた。
『無意味な抗いだ、命の残滓よ』
 アビスの声は、音ではなく絶望そのものとして二人の脳を揺さぶった。
『世界は多様になりすぎた。命は分かたれ、欲望を孕み、争い、巡りを澱ませた。紅玉根(クリスタル・ラディッシュ)を砕いたのは我が意志にあらず。汝ら生命の肥大化したエゴが、内側から結晶を爆ぜさせたのだ。我はただ、それを「無」という救済に導くだけのこと……』
「違う……!」
 レオンはフェルシオンを抜き放ち、五色の光芒を解き放った。
「命は確かに不完全だ。争い、過ちを犯す。だが、俺たちはこの旅で、それを補い合う『絆』の尊さを知った! 砕け散ったからこそ、俺たちは自分以外の痛みを知り、ひとつになるための意思を育めたんだ!」
「その通りよ! 勝手な理由で世界を終わらせないで!」
 サラが魔導弩を構える。
 五つの晶片から供給される無限の魔力が、彼女の矢に「概念を穿つ」力を宿していた。


双晶の解放と真の絆


「ハハハ! 壊せ! 散れ! 聖騎士の夢ごと打ち砕け!」
 異形と化した近衛兵たちは、理性を失いながらも絶大な威力の雷撃と烈風を放ち、猛然と襲いかかってきた。
 部屋全体が衝撃波で吹き飛び、鉄の床がめくり上がる。
「レオン! 皇帝の相手をしなさい! こいつらは私が引き受ける!」
 サラが魔導弩を構え、全身の魔力を込めた特別な『拡散氷結矢』を放った。
 近衛兵たちの足元が一瞬で凍りつき、動きが鈍る。
「サラ、頼んだ!」
 レオンは風と雷の嵐を突っ切り、皇帝ゼノヴィアの元へと跳躍した。
「身の程を知れ、裏切り者の騎士め!」
 ゼノヴィアは機械の義手を変形させ、そこから晶片の暴走魔力を利用した高圧熱線砲を撃ち出した。
 直撃すれば跡形もなく蒸発する極大の一撃。
 だが、レオンの瞳に迷いはなかった。
「命の循環を忘れた力に……僕たちが敗れるはずがない!」
 レオンは胸元の三合の晶片に全身全霊の祈りを捧げた。
 ブワァァァァァンッ!!
【大地の芽吹き】【凝縮の氷解】【深海の慈愛】——これまで繋いできた人々と大地の絆が聖剣フェルシオンの刃に集結する。
 剣身は三色の虹色の光を放ち、完璧な防御結界となって熱線砲を正面から切り裂いた。
「なに……!? 神根の力を……完全に制御しているというのか!?」
 驚愕するゼノヴィアの懐に滑り込み、レオンは一閃の斬撃を叩き込んだ。

 ズバァァァァンッ!!

 ゼノヴィアの機械義手と制御装置が一瞬で断ち切られ、激しい火花とともに吹き飛ぶ。
「ぐわぁぁぁぁっ! 私の……私の絶対なる兵器が……!」
 崩れ落ちる皇帝を後目に、レオンはそのまま宙へ跳躍し、二つの晶片を閉じ込めていたガラスカプセルへと聖剣を振り下ろした。

 クラァァァァンッ!!

 カプセルが粉砕され、拘束から解き放たれた【風の晶片】と【雷の晶片】が、まるで救いを求めるように宙を舞った。
「来い! お前たちを……本来あるべき世界へ戻す!」
 レオンが手を差し出すと、二つの晶片は狂暴な波動を収め、感謝するようにレオンの持つ三合の晶片へと吸い込まれていった。

 ——ドクン……! ドクン……!

【大地】【氷】【海】【風】【雷】。
 五つの晶片がひとつに融合した瞬間、ドーム全体を極彩色の神聖な光芒が包み込んだ。
 暴走していた『天魔の塔』の機械装置が一斉に停止し、抽出されていた歪んだ魔力が綺麗な浄化の波となって帝都全体へ広がっていく。
 黒煙に覆われていた帝都の空が割れ、何十年ぶりかに澄み渡る青空と太陽の光が降り注いだ。
「あ……空が……」
 へたり込んだ皇帝ゼノヴィアは、機械の煙が晴れた空から降り注ぐ暖かい光を見上げ、呆然と呟いた。

『——誇り高き命の守護者たちよ——』
 脳内に、かつてないほど鮮明に「根源の意志」の荘厳な声が響きわたる。
『五つの理が戻り、世界は崩壊の危機を脱しつつあります……ですが、最後に残された「二つの晶片」は、もっとも深く、もっとも恐ろしい闇の底にあります……』
 融合した巨大な宝珠から放たれた光の矢は、空を穿ち、世界の最果て——天と地が逆転した異次元の領域『世界の歪み(ヴォイド・コア)』を指し示していた。
 そこは、世界の調和を嫌い、最初からクリスタル・ラディッシュを粉砕した「真の元凶」が潜む場所。
「終わらせよう、すべてを」
 レオンは力強く聖剣を鞘に収め、駆け寄ってきたサラと深く頷き合った。

 五つの晶片の力を手にした英雄たちは、世界を真の平和へと導くため、世界の果てに待つ最後の決戦の地へと向けて旅立つのであった。


歪められた神力と帝国の野望


 最頂部の研究所に足を踏み入れた瞬間、二人の視界を覆ったのは狂気的な光景だった。
 広大な円形ドームの中央、太い真鍮のパイプと無数の魔導ケーブルが蜘蛛の巣のように張り巡らされた巨大なガラスカプセル。
 その内部で、二つの大きな晶片——緑色に輝く【風の晶片】と、黄色に輝く【雷の晶片】が浮遊していた。
 だが、その輝きは美しくなかった。
 カプセルに接続された無数の針から高圧の電流が流し込まれ、晶片は苦悶に身をよじるように不気味な明滅を繰り返している。
 抽出された膨大な魔力は太いパイプを通り、天井の向こうにある巨大な砲身——『天界の槌』へと送り込まれていた。
「……酷い。まるで生きているものを拷問しているみたい……!」
 サラが怒りに声を震わせる。
「くくく……素晴らしいだろう? 大地の神力とは、こうして科学の力で服従させてこそ真の価値を発揮するのだ」
 ドームの奥、高台から嘲笑が響いた。
 蒸気機関の義手と豪奢な軍服を纏った男——ガルド帝国皇帝ゼノヴィア・フォン・ガルドその人だった。
 その傍らには、過剰な魔力を注ぎ込まれて歪んだ異形の近衛兵たちが控えている。
「皇帝ゼノヴィア……!」
 レオンが聖剣を突きつける。
「神々の遺産を兵器に組み込み、世界を支配するつもりか!」
「支配? 違うな、レオン・ヴァルハイトよ」
 ゼノヴィアは腕を広げ、高らかに宣言した。
「神根が砕け散った今、旧き世界はすでに死んだのだ! ならば我ら帝国がこの超力をもって新世界の絶対的秩序となる! 散らばった破片を集めるお前の働き、実に見事だったぞ。これで……五つの晶片が我が手に揃う!」
 ゼノヴィアが胸元のスイッチを押すと、天井の『天界の槌』が不気味な駆動音を立て、砲身が眩い黄金色の光を放ち始めた。
「起動せよ、天界の槌! この一撃で反抗する諸国を灰と化し、我らが新世界の神となる!」
「止めさせるかァァッ!!」
 レオンは地を蹴った。
 だが、その前に立ちはだかったのは、両の晶片から暴走魔力を直接注入された皇帝近衛兵たちの巨躯だった。


黒煙の要塞都市


 深海都市ルルイエで海の理を取り戻したレオンとサラは、大陸の東方に位置する巨大人造都市『ガルド帝国・帝都鉄燐』へとたどり着いていた。
 そこは、これまでの大自然の光景とはあまりにかけ離れた異形の空間だった。
 天を覆う黒煙と油の匂い。
 夜もなく巨獣のように蠢く巨大な歯車、高圧蒸気を吹き出す無数の煙突。
 かつて豊かな森と澄んだ川があった土地は重厚な鉄鋼とコンクリートで塗りつぶされ、街全体が巨大な軍事要塞へと姿を変えていた。

「これがガルド帝国……息が詰まりそうな街ね」
 サラは蒸気機関の排煙に眉をひそめ、背中の魔導弩の弦を引いて点検した。
 レオンは無言のまま、かつて自身が仕えた帝国の首都を見つめていた。
 胸元でひとつに溶け合った【大地の熱量】【極北の凝縮】【深海の循環】を宿す三合の晶片が、激しく、そして痛みが混じったような激動の脈動を打っている。
 その光の針が指し示すのは、帝都の中央にそびえ立つ黒鉄の超高層城塞『天魔の塔』の最頂部であった。
「間違いない……そこに【第四の晶片】と【第五の晶片】がある」
 レオンの呟きに、サラが息をのむ。
「二つの晶片が同じ場所にあるの?」
「ああ。だが、自然の理によって眠っているのではない。力づくで捕らわれ、抽出されているんだ」
 帝国は世界中に散らばったクリスタル・ラディッシュの破片を独自に追い、そのうちの二つをいち早く手に入れていた。
 彼らはその大地の神力を世界の再編ではなく、古代超兵器『天界の槌(イカロス)』を起動させるための永久機関として組み込んでいたのだ。
「行くぞ、サラ。自然を冒涜し、世界の命を絞り出す暴挙を止める」
 二人は蒸気管が複雑に交差する暗がりを縫うように潜入を開始した。
 帝都の警備は厳重を極めていた。
 巡回する鉄甲兵だけでなく、晶片の魔力で動く異形の自立型機械兵器『魔導機甲』が街の至る所に配置されている。
 だが、三つの晶片の加護を得たレオンとサラの敵ではなかった。
 サラの放つ高圧蒸気矢が機械の関節を穿ち、レオンの聖剣フェルシオンが一閃するたびに、鉄の巨躯が断ち切られて火花を散らす。

 二人は幾多の防衛線を突破し、ついに『天魔の塔』の核心部——極秘魔導研究所へと侵入を果たした。


深海の誓いと新たなる暗雲


 狂乱の呪縛から解き放たれたクラーケンは、静かに光の粒子となって崩壊し、古代都市ルルイエの海底へと溶けていった。
 その瞳には、最後にかすかな感謝のの色が宿っていた。
 静寂が戻った神殿の頂で、第三の晶片が宙を舞い、レオンの手元へと吸い寄せられていく。
 彼の手の中で、すでに集められた結晶と『第三の晶片』が触れ合った。
 フワァァァァン……
 水中に広がったのは、どこか懐かしく、温かな波紋だった。
 三つの晶片はひとつに溶け合い、掌ほどの大きさがある鮮やかな紫紅色の美しき宝珠へと結実した。
 その瞬間、死んでいたルルイエの海に劇的な変化が訪れる。
 暗黒だった深海に、神々の御後光のような黄金の光が差し込んだ。
 発光サンゴが一斉に輝きを取り戻し、途絶えていた水流が脈打ち始める。
 枯れ果てていた海底の植物が芽吹き、どこからともなく色鮮やかな魚たちの群れが集まって舞い踊った。
「見て、レオン……! 海が生き返っていく……!」
 サラが感極まった声を上げる。
『神根の気泡』に守られた二人の足元から、どこまでも澄み渡る生命の波動が世界中の海へと広がっていった。

『——見事です、大地の愛し子たちよ——』
 三度の共鳴。
 頭の中に直接響く「根源の意志」の声は、以前よりもはっきりと、力強く響いていた。
『大地の芽吹き、天の凍土、そして深海の命……三つの理が再びひとつとなりました。ですが、歓喜の時間は長くはありません……』
 声のトーンが、俄かに重く沈んだ。
『残る四つの晶片のうち、二つはすでに……「人間たちの欲望」によって囚われています』
「なに……?」
 レオンが眉をひそめた瞬間、融合した宝珠から放たれた光の矢が、海を突き抜け、はるか東方の空へと伸びた。
 そこに映し出されたヴィジョンは、蒸気と黒煙が立ち込める巨大な要塞都市。
 そして、その中心で怪しい機械装置に繋がれ、力づくでエネルギーを絞り出されている二つの晶片の姿だった。
「あれは……軍事国家『ガルド帝国』の帝都……!」
 レオンは拳を強く握りしめた。
 ガイウスが死の間際に言っていた言葉が脳裏をよぎる。『皇帝は狂っている』と。
 帝国は、砕け散ったクリスタル・ラディッシュの破片を回収し、世界を救うためではなく、世界を統一するための古代兵器「天界の槌」の動力的として利用しようとしていたのだ。
「自然の猛威よりも、人間たちの欲望の方が根が深いというわけね……」
 サラが苦い顔で魔導弩を背負い直した。
「行こう、サラ。帝国の野望を止め、捕らわれた晶片を解放する……そのためなら、俺はかつての祖国とも戦う」
 レオンの瞳に宿る覚悟は、もはや一騎士のものではなかった。
 世界を再編し、奪われた命を取り戻す「真の勇者」の光が、そこには確かに灯っていた。
 光を取り戻したルルイエの海を背に、二人の英雄は、闇と機械の渦巻く東方の帝都へと向けて、次なる決戦の地へと旅立つのであった。


息詰まる海底戦


「グオォォォォォン……!!」
 水中に響く地鳴りのような重低音。
 クラーケンの巨大な触手が一本、水流を切り裂いて結界へ叩きつけられた。

 ズガァァァァンッ!!

 衝撃で『神根の気泡』が激しく歪み、二人の体が吹き飛ばされる。
 水の中では陸上のような自由な動きが取れず、一瞬の立ち遅れが死に直結する。
「サラ、結界の中から射撃を頼む! 俺は奴の触手を引きつける!」
 レオンは結界の隙間から飛び出し、水中を舞うように泳いだ。
 フェルシオンの刃に融合した晶片の光を纏わせると、水流の抵抗が驚くほど軽くなった。
 まるで光の尾を引く魚のように水中を滑走し、襲い来る触手を間一髪で回避していく。
「ハァァァッ!」
 一閃。
 一気に間合いを詰め、太い触手の一本を根元から斬り払う。
 しかし、切断面から溢れ出たのは青い血ではなく、黒く濁った暴走魔力だった。
 切り落とされた触手は一瞬で再生成され、さらに勢いを増してレオンを挟み撃ちにせんと迫る。
「くっ……再生能力が高すぎる!」
「レオン、上よ!」
 頭上からサラの放った『高圧水流破の矢』が突き刺さった。
 水中で威力を増すよう改良された魔導矢がクラーケンの巨大な複眼に命中し、巨妖が苦悶の咆哮を上げる。
「今だ、神殿の頂上へ!」
 二人は目にも留まらぬ攻防を繰り広げながら、神殿の階段を駆けあがった。
 だが、追い詰められたクラーケンは、その無数の触手を神殿の基盤に絡め、都市そのものを崩壊させようと暴れ始めた。
 巨石が崩れ落ち、乱気流のような渦潮が二人を呑み込もうとする。
 さらに悪質なことに、神殿の頂に輝く『第三の晶片』は、クラーケンの狂気に反応して「激しい拒絶の波動」を放ち始めていた。
 このままでは、晶片の魔力が暴走し、海底火山をも巻き込んだ大爆発を引き起こしてしまう。
「あれを回収するには、あの巨妖の動きを完全に止めなければ……!」
「レオン! 私に策があるわ!」
 サラが胸元のポーチから、ゴルドラの龍穴で手に入れた『火の溶岩石』を取り出した。
「氷と火、そしてこの水の環境……過剰な熱変化を起こせば、一瞬だけあの化け物の肉体を硬化させられるはず!」
「了解だ! 俺が合図とともに、聖剣で熱を炸裂させる!」
 サラは溶岩石を装着した特別な魔導矢を弩にセットし、クラーケンの口腔——もっとも柔らかい体内器官へと狙いを定めた。
「喰らいなさい……海の化け物!」
 放たれた矢は、凄まじい水蒸気を上げながらクラーケンの口内へと突き刺さった。
 内部から超高熱が発生し、巨妖が苦しみで身をもだえる。
「そこだァァァッ!!」
 レオンは聖剣フェルシオンを逆手に持ち替え、極寒の蒼氷原で得た「凝縮の氷気」と「大地の熱量」を同時に刃へ流し込んだ。
 相反するふたつの属性が相乗効果を起こし、爆発的なエネルギーとなって解放される。

 ズバァァァァァンッ!!

 極度の加熱と急激な冷却が交互に襲い、クラーケンの巨大な肉体は一瞬にしてカチコチの鉱物のように硬化した。
 その隙を逃さず、レオンは神殿の頂点へ跳躍。
「静かに眠れ、海の守り子よ!」
 一閃の光芒が、硬化したクラーケンの核と、第三の晶片を繋ぐ魔力の鎖を綺麗に断ち切った。


蒼き深淵の誘い


 極寒の『ヴァルハラ蒼氷原』で師ガイウスとの悲壮な決闘を終えたレオンとサラは、結びつきを強めた結晶が発する道標に従い、西の果てに位置する『静寂の港町アトラン』へとたどり着いていた。
 目の前に広がるのは、見渡す限りの群青の世界——『ルルイエ大洋』。
 しかし、かつて交易船で賑わっていた港町は無人に等しく、不気味なほどの静寂に包まれていた。
 海は重たく沈み込み、波の音すら消え失せている。
 紅玉根(クリスタル・ラディッシュ)の破砕によって「潮流」と「生命の循環」の理(ことわり)が狂い、海中の魔導脈が完全に途絶してしまっていたのだ。
「海が……死んでいるみたいね」
 港の埠頭に立ち、サラは潮風に鼻を鳴らした。いつもなら漂うはずの磯の香りや魚の生臭さすらなく、ただ冷たく乾いた無臭の風が吹くだけだった。
 レオンは胸元に収めた三合の晶片を取り出した。
 灼熱の地と極寒の地を経て、ひとつに合一しつつあるその結晶は、今や美しい桃紫色に輝き、優しく脈打っている。
 その光の束が指し示す先は、波立つ海の遥か下——水深数千テンの深海に沈む、太古の失われた王国『沈黙の都市ルルイエ』だった。
「船では行けないわね。あんな深海、潜水艇でも浸水して一瞬で押し潰されるわ」
「ああ。だが、この結晶が道を作ってくれるはずだ」
 レオンが晶片に魔力を注ぐと、結晶から放たれた光が二人を包み込み、透明な球状の防護結界——『神根の気泡(バブル)』を生成した。
 息を呑むサラの手を握り、レオンは決意を固めて海底の闇へと跳躍した。
 ざぶん、と重い水音が響き、視界が青から濃紺、そして漆黒へと染まっていく。
 水圧による激しい軋み音を結界の外に感じながら、二人は光の矢に導かれて深海へと下降していった。
 光の届かぬ暗黒の世界。
 だが、結晶が放つ柔らかな光の届く範囲だけは、太古の海が生き生きと輝いているかのように見えた。
 やがて、暗闇の底に、不気味で美しい建造物群が姿を現した。
 巨石を積み上げて造られた壮大な神殿、見たこともない海洋生物の彫刻が刻まれた柱廊、そしてそれらを覆いつくす発光サンゴの群生。
 それこそが、数万年前に海へと沈み、歴史から姿を消した古代都市ルルイエだった。
 都市の中心にそびえ立つ大神殿の頂点には、冷たい青紫色の光を放つ、巨大な『第三の晶片』が鎮座していた。
 しかし、その周囲には異様な気配が渦巻いていた。
「レオン、見て……! 何かが晶片を取り囲んでいるわ!」
 サラが指さした先、神殿の影から巨大な影がヌッと現れた。
 それは、かつてルルイエの守護神と称され、海の衰退とともに狂気に囚われた超巨大な魔海獣『深淵の巨妖(クラーケン)』だった。
 無数の触手には結晶の毒素が侵食し、発光するいくつもの瞳は理性を失い、ただ侵入者を排除する殺意だけに染まっていた。


凍てついた心の解凍


「……見事だ……レオン……」
 ガイウスは途切れ途切れの声で囁き、兜を外した。
 そこにあったのは、冷酷な敵の顔ではなく、かつてのように優しく、そしてどこか晴れやかな師の笑顔だった。
「ガイウス卿……なぜ……!」
 レオンが駆け寄り、ガイウスの身体を抱き起す。
「……皇帝は……狂っている……神根の力を手に入れ、他国をひざまずかせようとしているのだ……私には、皇帝の命を拒むことはできなかった……だが、貴様になら……」
 ガイウスは血の混じった息を吐きながら、レオンの手に温かな何かを握らせた。
 それは、彼が秘密裏に回収していた、冷たく透きとおる『第二の晶片』だった。
「……私の負けだ、レオン……この破片を持ち去り……世界を……救ってくれ……」
「ガイウス卿! 待ってください! ガイウス卿!!」
 レオンの叫びも虚しく、かつての師は静かに目を閉じ、そのまま動かなくなった。
 その身体は一陣の風とともに柔らかな光の粒子となり、吹雪の中に溶けて消えていった。
「レオン……」
 追いついたサラが、静かにレオンの肩に手を置いた。
 レオンは膝をついたまま、握りしめた第二の晶片を強く胸に押し当てた。
 彼の手の中で、すでに持っていた二合の晶片と、ガイウスから託された第二の晶片が重なり合う。
 三つの破片はまばゆい光を放ちながら融合し、より大きく、温かな輝きを放つ「絆の結晶」へと姿を変えた。
 その瞬間、塔の頂から伸びていた蒼い光の柱が弾け飛んだ。
 吹き荒れていた狂乱の吹雪が嘘のように止み、雲の隙間から、何ヶ月ぶりかの温かな太陽の光が降り注ぐ。
 凍りついていた極北の大地に、優しく、けれど力強い春の陽光が戻ってきたのだ。

『——悲しみを越え、絆を繋ぎし者よ——』
 頭の中に、再び「根源の意志」の記憶が響く。
『二つの試練を越え、汝の意思はより強固となりました……ですが、残る四つの晶片を巡り、世界はさらに深き混沌へと落ちていくでしょう……』
 融合した結晶から放たれた新たな光の矢は、どこまでも澄み渡る大空を越え、西方の深海領域——かつて海底に沈んだとされる『沈黙の古代都市ルルイエ』を指し示していた。
 レオンは涙を拭い、立ち上がった。
 ガイウスの想い、そして奪われた世界の平穏を取り戻すために、止まっている暇はない。
「行こう、サラ。次は……海の底だ」
「ええ。どこまででも付き合うわ、相棒」
 太陽の光に照らされる雪原の中、二人の英雄は新たな決意を胸に、深海へと繋がる西の地平線に向かって歩み出すのだった。


蒼氷の死闘


 吹雪が激しさを増す中、二人の剣士の魔力が激突した。

 ガァァァァンッ!!

 重厚な金属音が雪原に響き渡り、周囲の氷塊が一瞬で粉々に砕け散る。
 ガイウスの一撃は、山をも砕くほどに重い。
 レオンはフェルシオンで受け止めたものの、その圧倒的な衝撃に膝が雪に埋まり、口内に鉄の味が広がる。
「くっ……!」
「どうした、レオン! ゴルドラで龍を討ち果たした技量はその程度か!」
 ガイウスの大剣が横一文字に払われる。
 黒い冷気の波が押し寄せ、レオンの足を凍りつかせようと襲いかかる。
「レオン、援護するわ!」
 離れた位置からサラが魔導弩を構え、氷結を打倒す『爆炎矢』を放った。
 しかし、ガイウスは一瞥もくれず、左手に纏わせた冷気の障壁で矢を容易く叩き落とした。
「邪魔だ、小娘」
「なっ……! 炎の魔導矢が弾かれた!?」
 ガイウスの猛攻は止まらない。
 かつてレオンに剣の全てを叩き込んだ師だからこそ、レオンの型、間合い、思考のすべてを見切っている。
 追い詰められたレオンの鎧には浅からぬ傷が刻まれ、鮮血が白い雪を赤く染めていった。
(強い……勝てない……! ガイウス卿の剣には、迷いがない……!)
 膝をつき、呼吸を乱すレオンを見下ろし、ガイウスは静かに大剣を持ち上げた。
「終わりだ、レオン。貴様の『優しさ』では、この狂った世界は救えん」
「……いいえ」
 レオンは血を吐き出しながら、ゆっくりと立ち上がった。
 その瞳には、折れることのない強い光が宿っていた。
「僕の優しさが弱さだとしても……この命に代えても、世界を元の温かな姿に戻す! それが、あの日散っていった生命たちと、僕を信じてくれたサラへの……約束だ!」
 レオンが胸元の晶片に祈りを捧げた瞬間、フェルシオンの刃が黄金色と桃色の眩い光を放ち始めた。
 第一の晶片に秘められた「大地の生命力」が、レオンの折れぬ心と共鳴し、剣身に宿ったのだ。
「なに……! 神根の力を……剣に込めたというか!?」
「ハァァァァッ!!」
 レオンは地を蹴った。
 踏み込んだ足元から温かな光が広がり、ガイウスの冷気を一瞬で溶かしていく。
 ガイウスの大剣と、レオンの光輝く聖剣が交錯する。

 ——ズバァァァァンッ!!

 極彩色の光と漆黒の冷気が弾け飛び、凄まじい衝撃波が氷の塔の門を崩壊させた。
 決着は一瞬だった。
 ガイウスの黒い大剣が真っ二つに折れ、その刃が雪に突き刺さる。
 胸元を光の刃で切り裂かれたガイウスは、ゆっくりと雪の上に倒れ伏した。