(6th公演で、高台から自由の空へ飛ぶシシーを見て驚く、姉のヘレネや貴族たち)

 

本来であれば、脚本完成後に演出家の説明とセリフ読み合わせを行い、役作りの質疑応答を経てから、半立ち稽古を行う。

 

ところがアラムニーは常識をくつがえし、ぶっちぎりの半立ち稽古からスタート。

 

その理由は、メソッドの時間をたっぷり取り、25th公演に必要な心技体を身に着けて、自分のキャラクターを自己研究する前提があるから。

 

これまでメンバーから、メールによる大量の質問があり、その一つ一つに丁寧に答えることで、言葉の大切さや役の意義について、自主的な理解を求めてきた。

 

全員大学生のアラムニーであるからこそ、研究精神を重んじたい。

 

半立ち稽古では、まず場面ごとの演技位置を知り、明転と暗転、出と入りのタイミングを学んでもらう。

 

そのうえで、役を活かす言葉や表情、体の使い方などにチャレンジ。

 

「愛と死の旅路~エリザベートの真実~」で、19世紀末ハプスブルク帝国のたそがれと、人間の本質や核心に迫れるか。

 

たましいの彷徨に怯えるルキーニは、いかにして自分の役割を理解するのか。

 

死をつかさどるトートと、オーストリア皇帝フランツ。そして自由を求める皇后エリザベートの、愛をめぐる闇と光の心理描写。

 

ゾフィ皇太后や貴族たちによる、時代の変遷を表すインパクトある表現はいかに。

 

過去の舞台を参考に、現代観客の心をつかむ、新しい表現を模索する。

 

冒頭のシーン。煉獄にとどまるルキーニの独白で、死を求める孤高のアナーキストが、なぜエリザベート殺害に至る過去をさかのぼろうとするのか。

 

それが、自分の生きた証しを知る伏線であることを、明確に立ち上げる。

 

セリフの一つ一つに意味があり、研ぎ澄まされた感覚を生み出してゆく。

 

少女シシーが、トートの瞳に惹かれるのはなぜか。

 

それは死の王でありながら、光の世界を熱望するゆえであり、シシー自身の求める自由に重なるからだ。

 

そしてトートも、自分を見つめる少女の瞳に、求めてやまない光を見てしまう。

 

この瞳の交感は、後に皇太子ルドルフが、トートを見て安らぎを得る伏線となる。

 

場面の進行につれて、ルキーニの思考は深くなり、その演技が観客を惹きつける。

 

第一幕は、第七場の「幻想空間」で終了。

 

エルマーを中心とするハンガリー革命家の行動が、「ミルク」からウィーン市民を糾合して、ますます先鋭化する。

 

ルキーニ 「声なき声が高まって 世界は変わり始めた。見えざる先へ!」

 

第二幕へ向かい、多くの伏線がどのように回収されるか。期待は高まる。