(アラムニー6th公演。魅惑的なトートにより、死の世界へ誘われるエリザベート)

 

先週の、アラムニーメソッドとBBオーディションを終え、いよいよ25th本公演へ踏み出すアラムニーメンバー。

 

最大の関心は、すでに自分の演じる役が決まっているため、脚本の完成がいつになるかだろう。

 

例年、新年度本結成を経て、演目決定から約1か月で執筆終了を目指す。

 

25年目を迎えた今年は、フレッシュメンバーを加えて、20名体制である。

 

執筆にあたっては、組名をシュテルン組とクライノート組に決め、どちらも表役と裏役として出演するため、全員2役を担当してもらう。

 

さらに、娼婦マデレーネや精神を病むヴィンディッシュのように、一つの場面だけの役については、裏裏役として執筆する。

 

「レ・ミゼラブル」もそうだけれど、コゼットを演じながら、市民や娼婦など衣装を変えて数役を兼ねる、あの方式だね。

 

全員大学生のアラムニーメンバーは、社会人になる前の人間研究としても、舞台で自分とは別の人生を生きることに大きな意義がある。

 

そのため脚本構想では、それぞれのキャラクターを魅力ある存在として、生き生きと描くことに注力していく。

 

原点となるのは、新約聖書のヨハネ福音書。その冒頭の一文である。

 

「はじめに言葉があり、言葉は神のところにあり、言葉は神であった」

 

セリフの一つ一つを研ぎ澄ませ、観客の胸にしみるよう創意をこらせる。

 

ミュージカルの音楽の力に、日本語の持つ豊かな味わいを加えて、ドラマ性を高めることこそ、脚本のあるべき姿であろう。

 

例えば、シシーをいじめる悪役のようなゾフィー皇太后も、良く調べるとオーストリア帝国を守ろうとする、国母のような存在だと分かる。

 

むしろ、フランツと結婚して皇后となったエリザベートに「お母さまがいじめるの!」などと、拒否の意識が育っている。

 

ゾフィーとすれば、当たり前の宮廷教育を、なぜいやがるのか理解できないだろう。

 

そこで、皇太后としての気品をセリフに書き込み、その死の間際には、側近のリヒテンシュタイン伯爵夫人が、「あなたは沈まぬ太陽だった」と称えることとした。

 

狂言回しとして、ほぼ全場面に登場するイタリア人のルキーニも、粗暴な言葉は使わず、黄泉の帝王トートの意図を理解して、生と死を深く考える存在だ。

 

クンツェ・リーヴァイが創る独特な味わいの楽曲と、心のひだに触れるセリフの相乗効果により、さまざまな色彩を持つ舞台。

 

多くの可能性を秘める脚本が、ついに執筆完了した。

 

アラムニーメンバーは、自分のセリフと共に全体を読み込み、新たなミュージカルの森に踏み込んでいくことになる。