(現実に悩むロミオとジュリエットは、月明かりのバルコニーで心を寄せ合う。)

 

(明治時代に坪内逍遥が訳し、中央公論で出版された戯曲。霊廟でのセリフ抜粋。)

 

私の手元には、明治42年に出版された貴重な「シェークスピア全集」がある。

 

創刊第一号は「ハムレット」であり、それがいかに歴史的な事業であったかは、冒頭の序文に大いなる興奮と共に記されている。

 

その一部分だけでも、力の入り方が尋常でない。

 

世界文芸の獅子王座に、燦々として輝ける宿星。永遠の偉大なる天才ゲーテをして、「シェークスピアこそは無限なり」と、実に驚嘆と畏怖と絶賛を辞せしめたるは、少しの誇張もなきものと、慶祝せらるべき一大事件と申すべき。

 

明治と言う近代文明の黎明期に、坪内逍遥が文芸復興を掲げ、日本人にぜひ知って欲しい筆頭に掲げたのがシェイクスピアの戯曲であった。

 

それから110年を超える令和6年に、研究心旺盛な大学生によるミュージカル「ロミオとジュリエット」が上演されるのは、大きな意義を持つ。

 

明治の人々が衝撃を受けたであろう、ロマンチシズムあふれる精緻なセリフ群を、今に生かそうとする強い決意がある。

 

以下に少し例文を取り出し、対比してみよう。

 

★明治の訳本での、【バルコニーにおけるロミオのセリフ】

 

ロミオ  姫よ、あの実を結ぶ樹々のこずえの尖々をば、白金色に彩っているあの月

     を、誓言に懸けて。

 

<今回の脚本でのセリフ>

 

ロミオ  それなら、樹々を銀色に染める、あの月に誓って。

 

★明治の訳本での、【霊廟におけるジュリエットのセリフ】

 

ヂュリエット こりゃ何ぢゃ? 恋人が手に握りゃったは盃か? さては毒を飲んで非業の

       最期をお為やったのぢゃな。なんとまァ、あたじけない!皆飲んでし

       まうて。

 

<今回の脚本でのセリフ>

 

ジュリエット 手に持っているのは毒薬!星の軌道がずれてしまった。ひどい人、一 

       滴も残してくださらない。

 

セリフの味わいは時代と共に変化して、短く疾走感を伴っているね。

 

それでも、シェイクスピアの戯曲にある深い味わいは、明治も令和も観客に同じように伝えなくては意味がない。

 

アラムニーメンバーは、何度も工夫と調整を加えつつ、ミュージカルの音楽性にからめたセリフ群を、演ずべき役作りに生かしている。

 

いよいよ1か月を切ったこけら落としに、満を持してシェイクスピアの世界を客席へ伝えて欲しいと願ってやまない。