「我愛」での医師如月忠と妻の志乃については、慎重に検証しなくてはならない。

台本から読み取れるのは、大正時代から昭和初期に流行したモボ(モダンボーイ)モガ(モダンガール)を戦時中でも継承する、ちょっと時代錯誤の存在である。

しかし色々調べると、開業医は日本医師会に所属し、政治資金を提供するなど、必ず具体的な国家の方向に関わっているようだ。如月家は三代続く前橋医師会の名門で実力者と考えるべきだろう。

当然、月に一回有る前橋医師会の集いではリーダーシップを取ることになるし、当時の風習として結婚は釣り合う家同士でなければならないから、志乃も名門の生まれで教養豊かな女性ということになる。

つまり二人は表の如月医院としての顔と、モボモガとしてのダンス好きな裏の顔と言う二面性を演じなくてはならない。

そのため、第一場からの登場では七夕祭で市井の人々から声をかけられたら、思い切り裏の表現で盛り上がることだ。それは本当の忠や志乃ではなく、大正ロマンを享受した頃のオーバーに作った表現ということである。

観客に、あの二人は何だろうと思わせて、閉塞されたこの時代のアンチテーゼを伝えることが重要になる。

その姿は早水愛子の行動にも通じるもので、けっして浮かれたものではない。

台本はあくまでも台本であり、観客のイマジネーションを喚起させるのは、表現者である前女音楽部員自身である。

一人の人間を演じるためには、深くキャラクターを掘り下げ、そこから状況に適応する人物を取り出して表現しなくてはならない。

まだこの二人のインパクトは感じられないので、これから努力して私を納得させて欲しい。

演出家は設定し方向性を作るが、表現するのは音楽部のメンバーであるから、祈るような思いで演技を見守っている。