もうすぐ父の日ですが・・・
私にも父がおりました。。。って当たり前ですね
3年前に亡くなったのですが・・・主人が倒れる約1年前ですね・・・
母はすでに亡くなっていたので、父は一人暮らしをして何とか過ごしておりました
自営業をしていたのですが、私が、「もう年なんだから、いい加減、店たたみなさいよ」
といくら言っても聞く耳をもたない父
私の実家は、青森県にありますが、元々父は大阪出身の人で
何十年経っても、関西弁バリバリで気性の激しい頑固おやじ
商売に対して、ものすごく執着があって、なんぼ儲かったとか儲かんない
とかそんなことばっかり言ってて、母をよく困らせたし
私も子供ながらに、変な父親~って思ってました
すごく変わってる人で・・・例えばレストランとか家族で行くと
そのレストランにないメニューを頼んだりするんです
「牡蛎フライ定食一つ・・・」とお店の人に得意げに注文するんですが
「そのメニューはございません」
と、店員さんが答えると・・・「かまへん・・・店長呼んでくれ・・・」
母はタジタジで、「すみませんすみません」と謝ってましたが・・・
なんと本当に店長が出てきて、しかも・・・その後本当に
<牡蛎フライ定食>が出て来たんです
ビックリでした
メニューにない料理を頼む父って・・・・∑ヾ( ̄0 ̄;ノ
だから、私は小さい頃から、関西の人はみんなこういう人ばかり
なのかな~と本気で思ってたのです
野球観戦が好きで、父は阪神ファンでとにかく巨人が大嫌い
巨人が勝つと、テレビを勝手に消すし、機嫌が悪くなる
だから、主人や子供と帰省して野球中継があった時なんか
大変でした 阪神VS巨人の試合で巨人が勝つと主人は無意識に
大声を上げて喜び・・・その横で父は・・・もろ不機嫌な顔( ̄_ ̄ i)
野球に全く興味のない私は、一体なんなの(-。-;) 野球如きで・・・
といつも思ってました
だけど・・・父は昔から飲んべいで、大のお酒好き
そこだけは、主人と父は意気投合して、一緒に近くの飲み屋に出かけたりする仲
でもあったのです
主人から聞いた話ですが・・・飲み屋で、父はカラオケを歌っていたそうです
父が歌を歌っている姿なんて一度も聞いたことがありません
意外でした・・・戦争時代?の軍歌かなんかを歌ったらしいですが・・・
私の中で、父という存在は、マイホームパパとは縁遠く・・・
常に商売に命をかけ、がむしゃらに働く頑固おやじ・・・というイメージでしたね・・・
私が高校生の時ですが・・・自転車通学をしていたのですが
朝、いつものように学校へ行こうとしたら、自転車がありません・・・
焦っていると・・・父が申し訳なさそうに。。
「あ、すまん・・・昨日、飲み屋に行くのに借りてしもうた・・・
帰りはタクシーで帰って来たんや・・・ホンマに悪いな~」 (-。-;)
その日は確か、父に車で飲み屋まで連れて行ってもらって、そこから
自転車を拾って、高校まで行った憶えがあります
今となっては、笑えるというか・・・いい思い出ですね~
母には、「あんたは、絶対、飲んべいと結婚したらダメだよ」
と強く言われてたんだけど・・・
あ~~あ 見事に飲んべいと結婚しちゃった私
血は争えないですね~
母が5年前に亡くなってから、ず~と一人暮らしをしてきて
夏になると主人と、帰省して十和田湖や、八戸など一緒に
遊びに行ったりしてたんですが・・・
3年前のお盆も、新幹線の予約もして主人と青森に帰省するはずだったのですが・・・
8月の初旬・・・心筋梗塞で還らぬ人になりました・・・
亡くなった場所は、いつも通っていた銭湯で、銭湯から上がって
脱衣場で少し休んでいたら、そのまま眠るように亡くなったようです・・・
普通に横になっていたので、銭湯の人もしばらく気付かなかったそうです・・・
不思議なことに、救急車を呼んだ時、その救急車に乗っていた消防士の方が、
私の高校の同級生のご主人で、しかも、仕事関係で父と顔見知りだったらしく
そこからは、すごいスピードで、千葉の私の家に連絡があり。。。猛ダッシュで
青森に帰省し、心臓マッサージと人工呼吸器でなんとか息を繋ぎ止めた父と
再会することができました
そして。。。再会した1時間後に安らかに息を引き取りました
あの時は、あまりにも急な出来事だったので、何が何だかわからなかったけど
今思えば・・・好きな銭湯に入って苦しむことなく天国に旅立った父って
粋だな~って思います
今頃は、天国の母と、夫婦漫才しているのかな~
ふと。。。父の日が近いので思い出してしまいました