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『最後のチャンス』
俺はゆっくりと楓の言葉を待った。
楓は零れたジュースを紙ナフキンで丁寧に拭いていた。
「もう零さないでね。」と優しく子供に向ける表情に胸がキュッとなった。
周りからは俺たちは、どう見られているだろうか?
家族に見えるんだろうか…。
そんなことを思っているとテーブルが綺麗になって楓が俺を見た。
「カズくん。」
「あ、うん…」
「カズくんの気持ち…私も…」
楓の次の言葉を待っていると今度は楓のスマホが音を立てた。
「あ、ごめん…」
電話の相手は女の子のお母さんらしかった。
「カズくん、ごめん、美容院終わったから迎えに来るって。」
「そうなんだ…」
「うん…」
それから、楓の言葉を待ったがさっきの続きの言葉は聞けることはなかった。
しばらくすると、もう一度楓のスマホが鳴って「近くまで来たって言うから行くね。」そう言って楓は女の子を連れて店から出ようと席を立った。
俺は楓に行って欲しくないと思いながらもその場から動くことも楓を呼び止めることも出来ずにただ店から出て行くのをじっと見つめていた。
俺もしばらくしてからファミレスから出るとさっきよりも日が沈んで薄暗くなり始めていた。
それでもまだ暑かった。
夏の楓との再会はそれで終わってしまった。
楓も俺もお互いに連絡を取り合うことはなかった。
大事にしまってあるタイムカプセルの楓の手紙を何度も読んだ。
月日だけが流れても自分の気持ちはあの時のまま止まっている。
年齢だけ大人になっても気持ちは高校生のまま成長もしていなかったんだ。
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あの時、カズくんに再会してドキドキしている自分がいた。
いつまでも想ってても叶わない想い。
翔くんに背中を押されても自信が持てなかった。
だけど、タイムカプセルのあのノートを読んだらやっぱりもう一度気持ちを伝えないといけないと、そう思った。
でも…
上手くいかない。
カズくんからは連絡はして来ないだろう。
楓はそう思っていた。
じゃあ、自分から…?
連絡してみようか?
そう思っても行動に移せない。
そして…
季節は変わりまた冬がやって来た。
神様がくれた最後のチャンスかもしれない。
いい歳していつまでもいつまでもお互いの気持ちに嘘ばかりついていた。
そんな自分たちに神様がくれたチャンスなのかもしれない。
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俺は仕事での出張先に来ていて今は駅で時刻表を見ていた。
その時、肩をトントンと叩かれて振り向いた。
「カズくん、なんでこんな所に?」
楓は不思議そうな顔をして俺を見ていた。
確かにこんな所で楓と再会出来るなんて思ってもみなかった。
「あ、仕事でさ…取り引き先がこの街にあって。でも困った事があって…」
「どうしたの?」
「連絡ミスなのか会社の手違いなのか…今日泊まる場所がなくてさ。」
「そうなの?」
「うん、だから一度帰ろうかと思ったけど。電車まで時間もかなりあるしどうしようかと…。楓は?」
「私はこれから旅館に帰るところ。やっぱり仕事の取材でね。」
「そっか。楓、出版社だもんな。取材って?」
「うん。旅の本を作ってるの。今日は街を見て回っていろいろ写真も撮ったし。明日もね、取材。」
「ふーん。じゃあ、早く帰らないと。疲れてるでしょ?」
「うん…。カズくんは?」
「まぁ、なんか適当に(笑)」
「そう?じゃあ…またね。」そう言って歩き出した楓を見ていると振り返って「旅館、来る?」そう聞いてきた。
「えっ?」
「あぁ、今日泊まる旅館の支配人、知り合いなの。空いてる部屋がないか聞いてあげるよ。」
「え、いいよ。悪いし…部屋が空いてるとは限らないし。」
「明日もこっちで仕事なら泊まった方がいいでしょ?それとも、寒いこの駅で朝まで過ごすの?大丈夫、たぶん泊まれるから。」
楓はそう言ってちょっと笑った。
結局 俺は楓の泊まる旅館まで一緒に行くことにした。
これが楓に付く最後の嘘だ。
明日は休みでこっちで仕事はない。
だから泊まらなくても大丈夫なんだ。観光を兼ねて泊まって来いって会社が旅館を手配したはずだったんだ。
でも、これがチャンスなら最後のチャンスなら。
そう思ったんだ。
結局、部屋はなく。
俺たちは同じ部屋で過ごすことになった。
続く