長野県・・・飯山市

飯山城・・・上杉と武田の両雄抗争の城、江戸期は本多氏の藩庁に

○お待たせしました。パソコンの不具合でブログ更新が進みませんでした。

 

   飯山城の絵図(場内展示から)

   城の見取り図・上が東、北は左、南が右

    復元城門(どこの門か不明)

 飯山城は、永禄年間(1558〜70)に上杉謙信によって現在の長野県飯山市飯山町2749に築かれた平山城だ。享保2年(1717)以降は本多氏の城下町として栄えて明治維新まで続いた。遺構としては本丸(葵神社境内)や二の丸(城址公園)、三の丸、西郭、水堀、石垣が残っており、現在は飯山城址公園として市民の憩いの場となっている。

 復元門前にある岩井備中守信能公之碑

  駐車場側の土塁

  城域は350×400㍍で場所的には標高336㍍の高地で比高は25㍍。交通アクセスはJR飯山線の北飯山駅下車して徒歩約5分。城は、上杉謙信が信濃侵攻の戦略拠点として築いた城であり、現在は復元された門や土塁、石垣などが当時をしのぶことができ、元々の築城主は室町時代の泉氏だったようだ。

  南中門跡

  『吾妻鏡』によると、泉氏は鎌倉時代に泉小次郎親衡が、源頼家の子の千寿をたてて源氏再興を企てたが失敗して鎌倉から飯山へ逃れて土着したと伝わる。伝承の裏ずけとしては永禄年間の「上杉輝虎書状案」(「蔵田文書」に所収)に、「弥七郎(泉重政)は城ぬしであるから、実城をもとのように守りたまえ」という記述が見られるという。

   今回の登城は、草津温泉に入りに行った、ついでに立ち寄ったわけですが、謙信が武田信玄に備えて築かせたというだけに「後堅固の城」と言われる如く、なかなか立派な堅城だったと感心した次第である。

  本丸への登城口

 

                  城と合戦

   飯山城は、千曲川が流れている北信濃の盆地の一画の丘陵地に位置しており、西に向かうと関田山地を隔てて越後の頸城(くびき)平野(高田平野)に通じている。

  城域内の配置図

  桜井戸之碑と井戸

   当然のごとく、上杉謙信にとって越後の高田平野を武田氏から守る意味からもこの城の重要性はいうまでもない。永禄7年(1564)頃、謙信は飯山城を改修して武田氏の侵攻に備えたわけだ。

   城の東部は千曲川で、西部はや町に囲まれた盆地で、城域は盆地の丘陵域(飯山)に築かれた。元は泉氏の居城だったが、その後に高梨氏館を本拠とする高梨氏の支城だったが、上杉氏の越山で武田氏の前線基地としての機能を発揮すべく謙信によって改修された。

  三年坂

 3年坂の先の堀跡(通路)

 北中門跡と土塁跡

  三の丸跡

 二の丸御殿跡

   飯山城の改修当時は、弘治3年(1557)に高梨政頼が武田氏により高梨氏館を奪われており、高梨氏は支城だった飯山城に追われていた。謙信に敵対した武田信玄は、弘治年間に長沼城主の島津氏を従えて長沼城を改修して戦略拠点として飯山城攻略を目指(不落)した。

 坂口門跡

  不明門跡

   改修された飯山城の縄張図によると、今は無いが水堀に囲まれた南端の本丸、北に向かって二の丸土塁を挟んで三の丸、本丸の西下に土塁・石垣を挟んで西郭を配していた。 城の周りは水堀が巡り、北東側には三日月堀があったようであるが、現存していない。徳川時代には本丸一帯が石垣造りとなり、北西隅に枡形虎口が残る。

  本丸二重櫓跡

 桝形

 土塁と

 石垣

   櫓門であるが全部で13もあっただけに、どこの城門かは不明であるが、平成5年度に丸山家に残されていた城門を南中門として移築復元(明治期に一部部材が転用・改造)しており、発掘調査結果を基に間口5間、奥行き2間半に合わせて二層門として復元し、当時の規模の壮大さ、世姿が伺える。

 南大手門から、城主らしき武士が出入りしている様子

   上杉と武田の抗争は、武田勝頼の時代に一時期、上杉より武田氏に割譲され属城となったが、天正10年(1582)に武田氏が滅亡した後は織田信長が占拠したものの、同年6月2日早朝に起きた「本能寺の変」により織田勢が退潮すると上杉景勝の所領となり、岩井信能が城代となった。慶長3年(1598)上杉景勝が会津に転封して岩井氏から関一政、さらに慶長8年(1603)に松平忠輝の傅役の皆川広照、堀氏、佐久間氏、桜井松平氏、永井氏、青山氏と代わり、享保2年(1717)に本多助芳が越後糸魚川藩から転封して以降は明治維新の10代目本多助実まで続いた。

   飯山藩主となった広孝系本多家は、三河譜代本多信重の子の流れで、森山崩れによって松平清康死後も松平家に忠節を尽くした。安祥城の城将織田信広を捕らえて、信広と竹千代との人質交換を実現した家臣だ。

  飯山城址の遠望

   広孝系の本多家は、田原城主初代や、上野国白井藩、三河岡崎藩、遠江横須賀藩、出羽村山藩の藩主を輩出している。

   参考資料:「飯山城門説明板」(飯山市・飯山市教育委員会)、「長野県公式観光サイト」、『日本城郭大系』、『日本古代中世人名辞典』、『戦国武将合戦事典』、『戦争の日本史』(吉川弘文館)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)、『歴史人・No122名字と家紋の真実』(ABCアーク)、フリー百科事典『ウィキペディア』など。