神奈川県・・・横浜市
小机城・・・豊島泰経が籠城も、太田道灌が鶴見川対岸の亀甲山の陣から攻め、2ヶ月かけて攻め落とす
空堀二重土塁
小机城は、鶴見川右岸(南岸)に突き出した独立丘陵で旧武蔵国の橘樹郡小机郷、現在の神奈川県港北区小机町789を中心とした高さ約25〜30㍍の丘に関東管領の上杉氏が築いた可能性のある平山城だ。
築城時期は、鎌倉公方の足利持氏が幕府に反旗を翻した永享10年(1438)の「永享の乱」の頃と考えられており、文明8年(1476)から12年までの5年間に及んだ「長尾景春の乱」で、景春に呼応した豊島泰経(道灌により追悼された石神井城主)達が籠城し、戦上手の山内上杉方の太田道灌が攻め倦んで、落城まで2ヶ月を要した平山城だ。
外郭への登り階段、右側は第三京浜国道
第三京浜国道で道の山側は主郭・小机城址市民の森
外郭の櫓跡に立つ富士仙元(白山社)
櫓台に建てられている仙元社・小机富士
出城・外郭
今回の登城は、横浜線を乗り継いで小机駅北口から攻城戦を開始した。交通アクセスは駅から約800㍍で12分ほどだ。遺構は空堀、土塁、土橋、堀切、櫓台、帯郭跡などで、見応え十分な城跡でした。
外郭部分は畑に利用
外郭の西南に伸びる土塁と郭の一部
外郭の虎口か土橋、両サイドは空堀・竪堀
城と合戦
城域は西側こそ第三京浜国道の建設で破壊されたものの、第三京浜の東側は主郭や二の郭などの部分は城址市民の森として整備され保存され、空堀や土塁なども極めて良好な状態で残されている。
主郭への入り口
現状は竹林の根古屋には、武家屋敷が
「富士仙元」が櫓台跡に祀られている外郭・出城から登ったが、西南に伸びる土塁も残されていた。そして全体によく残っている東側には武家屋敷などがあったとされる根古屋と竹林。さらに進むと西郭の南の空堀、そして復元設置された本丸冠木門と両側には土塁が見られる。その奥が本丸と推定され、西郭や西の曲輪とも言われている。
本丸・西郭への通路
根古屋から冠木門に向かうと右手に空堀
本丸入り口の冠木門
冠木門左側の土塁・櫓台
冠木門右側の土塁
西郭・本丸
本丸の隅に小机城址碑
二の丸広場への通路
空堀が通路として利用、二の丸に
本丸の周りには空堀が巡らされその外側には土塁も。空堀を通路にして櫓台から二の丸、そして帯曲輪に。二の丸も本丸から続く空堀が西から東、鍵の手に南側へと続き、東南側は帯曲輪で防御を固めている。
二の丸手前の井楼跡に向かう
井楼跡
櫓跡
数歌詞あるうちの一つの櫓台
小机城が歴史上で有名になったのは、「享徳の乱」の最中の文明8年(1476)に名を轟かせた長尾景春(山内上杉家の重臣で白井長尾家、山内上杉家の家宰職補任の不満から主君の顕定に背いて鉢形城で挙兵)方の拠点として利用された。
景春方の南関東における重要拠点だった小机城は、武蔵の石神井城主の豊島泰経が太田道灌に破れて小机城に逃げ込み、矢野兵庫助たちと文明10年2月6日から籠城約2ヶ月に及ぶも、4月11日には小机城の北方にある亀之甲山(現在の新羽町亀ノ・甲・橋付近)に布陣した太田道灌に破れて落城して何処かに落ち延びたとされる。城は40年間は廃城になった。
本丸奥の土塁
敵を阻んだ土塁
二の丸に向かう下り通路・空堀
二の丸(東郭)広場
二の丸(東郭)広場の説明立て札
空堀を挟んで土塁
東郭近くの櫓台
東側の帯曲輪にある神を祀った祠
二重土塁
根子屋に下る通路・土塁の上を進む
難攻不落の小机城を巡る逸話では、山内上杉方の道灌が攻めあぐねている中で、道灌は松の大木の下に腰掛けて、「小机はまず手習いの初めにて、いろはにほへとちりぢりとなる」と戯れ歌を詠んで味方を鼓舞したという話がある。
一方、小田原北条氏の時代に入ると、北条氏綱の時代に城は修復されて、武蔵国南部の北条方の支城としての役割が与えられて、大永4年(1524)に笠原信為が城代として送り込まれて小机衆が組織されている。
天正18年(1590)の豊臣秀吉の小田原征伐のおりには無傷で落城して徳川の関東移封の際に再び廃城の憂き目に。この時に4代目城主の弥次平衡重政が徳川の家臣となり近くの台村(緑区台村)に居住したとされる。
なお、外郭にある「富士仙元」は、外郭に登城して櫓台が有るのかと、よく見てみたら「富士仙元大菩薩」の碑だった。石柱には、文久元年(1861)の銘が彫られ、富士仙元大菩薩とあり、この神様は木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)らしいです。この木花さんは瓊瓊杵尊・邇邇芸命(ににぎのみこと)の妃神だそうですよ。どうやら小机城の櫓台を活用して富士塚として、富士信仰の場としたようだ。
参考資料:「小机城について」(現地案内)、『日本城郭大系』、『相模武士団』(吉川弘文館)、『日本古代中世人名辞典』、『戦国武将合戦事典』、『戦争の日本史』(吉川弘文館)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)、『歴史人・No122名字と家紋の真実』(ABCアーク)、フリー百科事典『ウィキペディア』など。